(令和6年3月16日その4)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、宇那谷町の大師堂(大聖寺)(44番)&八幡神社の次は、内山町(うちやまちょう)の第六大神から、隣の大師堂(番外)に参ります。
宇那谷町内会館と八幡神社の間の道を北西方向に進みます。しばらく進んでの二股三叉路、ここに来るまで、内山町の大師堂と、横戸町上横戸の明星寺(45番)のどちらを先に参るか迷っていたのですが、舗装や水路の具合を見て、道なり右へ、内山町の大師堂を先に参ります。
そのまま道なりで進んで、少し下るところ、右手に第六大神、第六大神の向かいに大師堂が現れます。この写真ですと、中央に鳥居、鳥居の隙間向こう側に大師堂です。道をそのまま進んで突き当たり丁字路を右折、そして右が参道入口です。
内山町の第六大神
第六大神、千葉市花見川区内山町164番地。(千葉県の宗教法人名簿より)参道入って鳥居、その次は右に第六神社の由緒の碑、続いて石塔群、左にも境内社、参道進んでから、右に分岐した先に内山町自治会館、参道は階段上っての平坦部に鳥居、その先真っ直ぐに社殿、途中右に境内社などがあります。
鳥居
神額は「第〓〓神社」、〓〓は六大だろうが、はっきりしない。
第六神社の由緒の碑
碑のタイトルは「第六神社の由緒」。これに拠れば、ご祭神は面足尊(おもだるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)、2柱を併せて第六大神(だいろくおおかみ)。
鳥居右石塔群
この中の左端、上2枚の写真の庚申塔は、正面「庚申塔」、右面「萬延元申十一月吉日」、左面「内山」。(万延元年=1860年)こちらの庚申塔は、上部左右「安永七戌年 十月吉日」、右下「内山新田」。(安永7年=1778年) なるほど、内山新田ですか。因に、迅速測図では、この辺りは長沼新田字内山と記されています。
鳥居左境内社
境内中程
手水鉢
手水鉢の正面「奉納」、右面「庚文政十三天 寅九月吉日」。(文政13庚寅年=1830年)
社殿前境内社
社殿
神額は「第六神社」。
常夜灯
右常夜灯の正面「御神燈」、背面「慶應二寅年正月吉日」、台座正面「奉納」、台座背面「松戸 嘉右ヱ門」。左常夜灯の正面「御神燈」、背面「慶應二寅正月吉日」、台座右面「若者中」、台座正面にも複数の名前あり。(慶応2年=1866年)
境内から大師堂方向
木の陰ですが、写真中央に大師堂がありますので、そちらへ。
内山町の大師堂
千葉寺十善講八十八ヶ所番外。右の御詠歌額は、全く何も読めない。左の御詠歌額には、痕跡は認めるが、結局読めない。
大師堂の北、道路の左右に石塔石仏群があります。それでは次へ参ります。上の写真での右(南)に進みまして、国道16号の手前まで来ました。この国道16号に向けた広告看板のところで右の田圃( 宇那谷町です! )の方向に曲がります。( この辺りの昔からの水田は宇那谷村の所有でして、内山町、元の長沼新田には、昔からの水田はありません。) その先で小さな水路を渡ると、横戸町に入りまして、国道には出ずに右の細道を進みます。すぐの国道下通路、これで国道を潜り抜けます。
次回は、横戸町上横戸の明星寺(45番)&神明神社
次回は、横戸町上横戸の明星寺と、隣接する神明神社に参ります。