千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝 白幡神社(番外)

(令和5年8月26日その6)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、港町の大師堂(番外)&神明町の神明神社(番外)の次は、新宿(しんじゅく)の白幡神社(番外)に参ります。
神明神社大師堂の前を右(西)に進みます。

神明町神明神社大師堂前
神明町神明神社大師堂前
神社南西角の十字路は直進、次の三叉路で右折、そこから約0.12km、進行方向の突き当たりに白幡神社の鳥居がある三叉路の手前の所、左のスペースに大師堂などがあります。
白幡神社経塚様・大師堂前
白幡神社経塚様・大師堂前

白幡神社の経塚様

道路側に「経塚様の由来」説明板、スペースの北西側に、道路側から順に、大師堂、石塔石仏群、経塚様と並んでいます。

経塚様の由来説明板

経塚様の由来説明板
経塚様の由来説明板

大師堂

白幡神社経塚様大師堂
白幡神社経塚様大師堂
白幡神社経塚様大師堂説明板
白幡神社経塚様大師堂説明板
これに拠れば、大師堂は、もとは白幡神社地続きにあったが、昭和28年(1953年)に当地に移った。

経塚様

白幡神社経塚様正面白幡神社経塚様由来説明板
白幡神社経塚様
白幡神社経塚様左面白幡神社経塚様背面
白幡神社経塚様
経塚様(石塔)の正面「法華經一字一石塚」、左面「寛政十一龍集己未八月朔〓」、背面「北斗山妙見〓」などとあり、説明板に拠れば、寛政11年=1800年、もとは白幡神社地続きにあったが、昭和31年に当地に移った。
道路際の説明板と、こちらの説明板の両方とも、新宿一、二丁目町会が関与しているようです。ここの住居表示は千葉市中央区神明町ですが。

石塔石仏群

白幡神社経塚様石塔石仏群
白幡神社経塚様石塔石仏群
このうち、中ほどの石仏は、
白幡神社経塚様石塔石仏群中ほど
白幡神社経塚様石塔石仏群中ほど
たぶん馬頭観音で、右「天保二〓十月吉日」、左「馬〓講中」とあります。(天保2年=1831年)
右端、大師堂隣は三山供養塔で、
白幡神社経塚様石塔石仏群三山供養塔
白幡神社経塚様石塔石仏群三山供養塔
正面最上部に種字、その下「湯殿山」、さらに下に「月山 羽黒山」、右面「明和六己丑天」とあります。(明和6年=1769年)
さて、道路に戻って左(北西)へ、突き当たりの千葉県道217号の向かいが白幡神社です。
千葉県道217号白幡神社横
千葉県道217号白幡神社横
右折して白幡神社前交差点を左折して直ぐ左が、旧道側入口です。

千葉市中央区新宿の白幡神社

千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
千葉寺十善講八十八ヶ所番外。(大師堂は前述の経塚様に転出)
白幡神社交差点の県道側に白幡神社と結城稲荷神社の由来説明板、旧道側に白幡神社説明板と入口、入口から参道直ぐに鳥居、そこから参道を進んで、少し高くなった所で、左に白幡疱瘡神・新しい石碑、右に宝剣発見之所の石塔、参道を進んで、左に県道側鳥居、右に結城稲荷神社、奥少し右に白幡神社社殿です。

白幡神社
白幡神社

県道側由来説明板

白幡神社結城稲荷神社由来説明板
白幡神社結城稲荷神社由来説明板
これに拠れば、治承4年(1180年)9月、この地にあった結城稲荷に、安房勝山より北上した源頼朝が白旗を献上し、以後白旗大明神と称したが、明治初めに結城稲荷を分社して白幡神社と改めた。昭和31年境内より古墳時代末期の金銅装飾直刀2振が出土した。白幡神社のご祭神は誉田分命、結城稲荷神社のご祭神は稲倉魂命。

旧道側説明板

白幡神社旧道側説明板
白幡神社旧道側説明板
これに拠れば、住所は千葉市中央区新宿1丁目19-4。他は由来説明板と大体同じ。

境内西側

白幡神社境内西側
白幡神社境内西側

白幡疱瘡神

白幡神社境内白幡疱瘡神
白幡神社境内白幡疱瘡神

石碑

白幡神社石碑
白幡神社石碑
白幡神社石碑説明板
白幡神社石碑説明板
ここもやはり昭和20年に戦災で焼失とのこと。

宝剣発見之所石塔

白幡神社宝剣発見之所石塔
白幡神社宝剣発見之所石塔
左にある説明板に拠れば、出土した金銅装飾直刀2振は千葉市立郷土資料館に保存、ここは白幡古墳として登録。

県道側鳥居

白幡神社県道側鳥居
白幡神社県道側鳥居

結城稲荷神社

白幡神社境内結城稲荷神社白幡神社境内結城稲荷神社説明板
白幡神社境内結城稲荷神社

社殿

白幡神社社殿
白幡神社社殿
白幡神社神額
白幡神社神額
白幡神社社殿前説明板
白幡神社社殿前説明板
説明板には千葉市指定史跡とありますが、千葉市のWeb Siteには記載がありません。

手水鉢

行きはこの辺りに人が多かったので、撮影は帰りになりました。

白幡神社手水鉢
白幡神社手水鉢
手水鉢には「文政十一子年 十一月吉日」とあります。(文政11年=1828年)

帰宅

10時を過ぎたので、今日はここまでとします。
本日は、元1番、1番&2番、3番旧地、番外旧地、4番、5番、番外4連続、と廻りました。