(令和5年9月2日その3)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、新町の天神社(番外)の次は、登戸(のぶと)の登渡神社(真光院)(6番)に参ります。
国道14号の登戸小学校入口交差点を北北東( 新町天神社やJR千葉駅から来た場合の右方向 )に曲がると、すぐ次の十字路の左手に登渡神社です。
登戸の登渡神社
登渡神社、千葉市中央区登戸3丁目3番8号。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講八十八ヶ所6番。(真光院)
十字路に面して鳥居、鳥居の左に説明板、鳥居の左右に常夜灯、鳥居から参道を進むとその先に拝殿、拝殿の右奥に登渡神社の小壁嵌板彫刻の説明板、拝殿の左に神楽殿、拝殿の周囲に摂末社が点在、拝殿から右に進むと境内北東部に大師堂や仏教系の石塔石仏群があります。
鳥居
説明板
これに拠れば、正保元年(1644年)に、千葉氏の末裔、登戸権介平胤が、千葉妙見寺の末寺として、白蛇山真光院定胤寺( 登渡妙見寺 )を建立。妙見大菩薩を祀り、真光院を別当とした。その後、明治の神仏分離期に、ご祭神を天御中主神として別当寺を廃した。また、本殿は安政年間(1854年-1859年)の改築。
千葉妙見寺とは、千葉神社(元1番)のことでして、千葉妙見寺(尊光院)→千葉神社と同じ様に登渡妙見寺(真光院)→登渡神社となった訳です。
常夜灯
左側の常夜灯の正面「奉献常夜燈」、右側の常夜灯の背面「文政七年甲申歳三月建之」とあります。(文政7年=1824年)
参道
稲荷神社
参道途中階段の左に稲荷神社です。
水神社
参道途中階段を上って右に水神社です。
拝殿
拝殿右側
浅間神社
登渡神社の小壁嵌板彫刻説明板
これに拠れば、登渡(とわたり)神社の本殿は嘉永元年(1848年)の再建。本殿の小壁嵌板彫刻は、千葉市の指定文化財です。
www.city.chiba.jp
本殿
神楽殿
摂末社
摂末社のうち、稲荷神社、水神社、浅間神社については既に触れました。それ以外では、神楽殿の西側に、まとまった摂末社群があります。
境内北東部
拝殿前、水神社横から東側ですが、も少し進むと、左手に大師堂や仏教系の石塔石仏群です。
大師堂
写真奥の台座には、「番」、「樂寺冩」とあります。本家四国八十八ヶ所6番安楽寺の写しの意でしょう。
石塔石仏群
石塔石仏群からは、先ずは光明真言供養塔から。供養塔の正面は梵字の下に「奉唱誦光明〓言五百萬遍滅罪生善者也」、右面「準四國八十八ヶ所阿州安樂寺写 第六番 真光院」、左面「文政十三庚寅年二月日」とあって、文政期の時点で既に6番札所写しであることがわかります。
その左は庚申塔で、庚申塔の右面「寛政五丑十月日 登戸村上宿講中」とあり、さらに左の子安塔には、右「文政十丁亥 十一月」とあります。(寛政5年=1793年)
さらに左、間に石仏( 大日如来? )2基を挟んでの庚申塔は、右上「元文二丁」、左上「十月五日」、右下「登戸村」とあります。(元文2年=1737年)
真光院常夜灯
こちら側の入口にも常夜灯があります。道路側を仮に正面としますと、正面「奉納妙見堂寳前」、左面「登戸村白蛇山眞光院」、右面「寳暦四甲戌年十一月吉日」とあります。(宝暦4年=1754年)
次回は、千葉公園の大師堂(番外)&轟町の来迎寺(番外)
次回は、千葉公園の大師堂(番外)、続けて、轟町の来迎寺(番外)に参ります。神社南の鳥居から左(北北東)に進みます。