千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝始め 千葉神社(元1番)

(令和5年8月26日その1)
本日より、千葉寺十善講八十八ヶ所の巡拝を、本ブログ上で始めます。本日も朝だけ巡拝です。
千葉寺十善講の八十八ヶ所は、これまで見てきた地四国とは違って、大体は番号順に廻ることができますので、そうしようと思います。実際には戦災その他の理由により、札所が移転していて、番号順に廻るとおかしな事になる部分もありますが。また、番付札所を廻る合間に、近隣の番外札所( これが大量にある )も、なるべく合理的な順番で廻ろうと思います。
という訳で、最初の目標は、元1番札所の千葉神社、次いで、現1番札所の宝幢院(1番&2番)となります。
旅の出発点は、JR総武本線千葉駅と東千葉駅の間にある、千葉市民会館の前からです。

千葉市民会館前
千葉市民会館前

旧国鉄千葉駅跡

ここには嘗て、1963年まで国鉄千葉駅がありました。「ここに千葉駅ありき」と題した碑が建っています。

ここに千葉駅ありきの碑
ここに千葉駅ありきの碑
さて、ここから道路を数十メートルだけ北東に移動して、市民会館前交差点に至ります。
千葉市中央区の市民会館前交差点
千葉市中央区の市民会館前交差点
この交差点、K字型をしていますが、Kの字の左下から来て、右上方向、写真の左側奥への道へ進みます。ここからが、往時の千葉駅から千葉市街への駅前通り的な道、千葉県道40号になります。そして次の信号交差点である要町交差点の手前の三叉路で、
千葉県道40号要町交差点手前の三叉路
千葉県道40号要町交差点手前の三叉路
斜め右に進んで県道を離脱します。その先、しばらくして、道の両側が公園( 通町公園(とおりちょうこうえん) )となる直前、左の小さな駐車場の向こうに、千葉神社の小さな門があります。
通町公園千葉神社横
通町公園千葉神社横
この門からは入らず、公園を左に入って、
通町公園から千葉神社尊星殿
通町公園から千葉神社尊星殿
左に見える楼門、尊星殿から入ります。

千葉神社

千葉神社、千葉市中央区院内1丁目16番1号。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講の八十八ヶ所元1番。
境内の南(通町公園)側に尊星殿という門、その先真っ直ぐに社殿(拝殿)、境内の左(西)側には摂末社群、その中の一番北側は千葉天神、境内の右(東)側からは国道126号に出られます。なお、大師堂は見当たりません。
www.chibajinja.com
ja.wikipedia.org

尊星殿

千葉神社尊星殿中央部
千葉神社尊星殿中央部
この記事を書きながら調べているのですが、これは単なる楼門(山門)ではなく、楼門と社殿の複合建築だそうです。中央部だけでなく、写真では半分見切れている左右の部分も、右は日天楼、左は月天楼という社殿の一部になっています。

尊星殿扁額

千葉神社尊星扁額
千葉神社尊星殿扁額

福徳殿

中央一階の八角の部分が、福徳殿だそうです。

千葉神社福徳殿南側
千葉神社福徳殿南側
千葉神社福徳殿北西側
千葉神社福徳殿北西側
千葉神社福徳殿東側
千葉神社福徳殿東側
八卦十二支を表している事は明らかです。

手水鉢

千葉神社手水鉢
千葉神社手水鉢
手水鉢には「寳暦五乙亥歳 五月吉日」とあります。(宝暦5年=1755年)

社殿

千葉神社社殿拝殿
千葉神社社殿拝殿

社殿神額

千葉神社社殿神額
千葉神社社殿神額

社殿の奥

千葉神社社殿本殿
千葉神社社殿本殿

掲示物

千葉神社境内の掲示物
千葉神社境内の掲示物
これに拠れば、ご祭神は「妙見尊星王」(千葉大妙見)、北極星と北斗七星の神霊。北斗七星は五行と日天・月天を掌握するという。

千葉天神

千葉天神・千葉神社旧社殿
千葉天神・千葉神社旧社殿
千葉天神神額
千葉天神神額

千葉天神説明板

千葉天神説明板
千葉天神説明板
これに拠れば、千葉天神のご由緒は、寿永元年(1182年)に、千葉神社の前身である北斗山金剛授寺の境内に、菅原道真公(天神様)を勧請した事に始まる、社殿は千葉神社の旧社殿。

摂末社群

千葉神社摂末社群
千葉神社摂末社群
この摂末社群の裏に、ちょっと変わった石塔があります。
千葉神社摂末社群裏
千葉神社摂末社群裏
千葉神社摂末社群裏庚申塔?
千葉神社摂末社群裏庚申塔?
かなり劣化していますが、三猿の上に立つ像ですので、庚申塔かもしれません。

東側入口

千葉神社東側入口
千葉神社東側入口
ここから国道を北に行く予定ですが、その前に、南側を見ると、大きな説明板がありました。

説明板

千葉神社説明板
千葉神社説明板
これに拠れば、ご祭神は北辰妙見尊星王(天之御中主大神)、北辰とは北極星と北斗七星の神霊、また北極星を神格化して妙見尊という。
さて、千葉神社は江戸時代には妙見寺とも称されていて、千葉寺十善講八十八ヶ所の1番札所でもありましたが、明治の神仏分離時に神社となることを選択し、仏教的なものは宝幢院に移されました。

次回は、院内の宝幢院(1番&2番)

次回は、その宝幢院(1番&2番)に参ります。神社東側の国道を北に進みます。