続・延命寺、平塚村大師その漆、東葛印旛大師巡拝 平塚の鳥見神社(元52番)

(令和5年4月10日その3)
東葛印旛大師巡拝、白井市平塚の延命寺の続きです。

延命寺

真言宗豊山派、延命寺、白井市平塚939番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師65番&84番。
下総四郡大師84番。
印西大師54番。
平塚村大師1番&88番。
前回の記事にて、境内の参拝を終え、石柱門から出て、先ずは左(東)に進んで、特に見当たらないので、戻って延命寺敷地南西角の丁字路を右折(北行)します。すると、右(東側)の延命寺境内、ちょうど観音堂の裏手に庚申塔があり、また、観音堂と大師堂の間の西口みたいな出入口の南側に、観音堂についての説明板がありました。

観音堂説明板

平塚延命寺観音堂説明板
平塚延命寺観音堂説明板
これに拠れば、寺の開基は寛弘2年(1005年)、万治3年(1660年)に現在地に本堂が再建された。観音堂の屋根は、もとは茅葺きで、昭和30年に鉄板葺きに、昭和57年に銅板葺きに改められたそうです。なお、前回の記事も参照してください。

庚申塔

平塚延命寺庚申塔
平塚延命寺庚申塔
これでようやく延命寺から離れます。庚申塔の前から北に向きを変えて、
平塚延命寺横から北へ
平塚延命寺横から北へ
延命寺西口のさらに北、背の高い電柱の手前に、また平塚村大師の石碑がありました。

平塚村大師64番

平塚村大師64番
平塚村大師64番
平塚村大師64番石碑
平塚村大師64番石碑
「明治四十二年 豫州前神寺写 新四國六十四番」
そこからまた北に進み、右手の延命寺墓地が途切れるあたりの丁字路、その左向こう側が、平塚の鳥見神社(東葛印旛大師元52番)です。
平塚鳥見神社前
平塚鳥見神社前

鳥見神社

鳥見神社、白井市平塚962番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師文政期・明治期の52番。
平塚村大師33番を確認。

平塚鳥見神社
平塚鳥見神社
入口右に、平塚鳥見神社本殿の説明板、入口から参道真直ぐに鳥居、その先に拝殿、その奥に本殿、鳥居の先左に平塚村大師33番の石塔があります。

平塚鳥見神社本殿説明板

平塚鳥見神社本殿説明板
平塚鳥見神社本殿説明板
これに拠れば、創建は不詳、ご祭神は饒速日命、本殿は天保5年(1834年)の再建で白井市指定文化財です。
www.city.shiroi.chiba.jp

平塚村大師33番

平塚村大師33番
平塚村大師33番
「新四國三十三番」「昭和十二年五月五日」

拝殿

平塚鳥見神社拝殿
平塚鳥見神社拝殿

本殿

平塚鳥見神社本殿
平塚鳥見神社本殿
平塚鳥見神社本殿左側彫刻
平塚鳥見神社本殿左側彫刻
平塚鳥見神社本殿右側後ろ側彫刻
平塚鳥見神社本殿右側後ろ側彫刻
平塚鳥見神社本殿右側後ろ側彫刻下部
平塚鳥見神社本殿右側後ろ側彫刻下部
鳥見社(鳥見神社)にはかつて、文政期、明治期において、神仏分離期以降も、東葛印旛大師の52番札所がありましたが、昭和期までには転出したようです。現在の52番は、平塚東区集会所にあります。そして、ここの境内には大師堂は見当たりませんでした。また、平塚村大師の札所番号の割り当ては、先行する印西大師や東葛印旛大師のそれとは無関係に行っていたようです。
それでは移動します。鳥居を戻って道路に出て左折(北行)します。すぐに、舗装道が右に逸れて下り坂となるところ、
白井市平塚東区消防センター前
白井市平塚東区消防センター前
右には平塚東区消防センターがありますが、左の未舗装道(参道)を直進します。この先は八幡神社の境内です。

八幡神社

八幡神社、白井市平塚955番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
平塚村大師23番&31番を確認。
参道を進むと、左手に祠が見えてきます。

平塚八幡神社参道
平塚八幡神社参道

参道途中の摂末社

平塚八幡神社参道途中の摂末社
平塚八幡神社参道途中の摂末社
この祠、ご祭神は不明です。左わきには平塚村大師23番の石碑があります。

平塚村大師23番

平塚村大師23番
平塚村大師23番
「阿波國海部郡醫王山藥王寺寫 新四國二十三番」
参道に戻って進むと、八幡神社です。

八幡神社鳥居・社殿

平塚八幡神社鳥居・社殿
平塚八幡神社鳥居・社殿
社殿の裏手にも、石祠と平塚村大師31番があります。

社殿裏の石祠と平塚村大師31番

社殿裏の石祠と平塚村大師31番
社殿裏の石祠と平塚村大師31番
左の石祠「足尾山」、右の石祠「加波山三社大〓現」、両山とも筑波連山の山です。
平塚村大師31番
平塚村大師31番
「土洲五台山冩 新四國三十一番」

次回は、平塚村大師その捌になります。

平塚村大師その捌にくわえて、東葛印旛大師の最後の札所、薬師堂(25番)にも参ります。