(令和5年5月12日その2)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、萩原の鳥見神社の次は、萩原の慶昌寺(57番)、続けて、萩原の竜泉院(2番)に参ります。
既に、慶昌寺の前まで来ています。
萩原の慶昌寺
曹洞宗、慶昌寺、印西市萩原1242番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師57番。
六阿弥陀の何番か。
綺麗に刈り揃えられた木が、いわば門柱になっていて、そこから階段の先に石柱門、その先真っ直ぐに本堂、本堂の左前に大師堂、石柱門から境内左側に石塔石仏があります。境内右からスロープが道路に続いています。
入口
階段下左にこのような掲示が。
入口の掲示物
これに拠れば、山号は瀧谷山、本尊は釈迦牟尼仏、奥座本尊は弥陀三尊。
石柱門
門にも山号寺号が記されています。
本堂
57番大師堂
この大師堂、正確には左半分が大師堂で、右半分は「観音天神」が祀られています。右側の遍額には「觀音天神」とあり、お堂の右側には菅原道真公らしき像が納めてありました。
石塔石仏群
写真の中央、石塔石仏群の左前の石塔は六阿弥陀の標識塔です。
六阿弥陀標識塔
標識塔正面の中央「六阿弥陀如来」、右上「番」、左右中部「嘉永四 八月廿六日」とあります。(嘉永4年=1851年) 最上部が欠けていて、何番かは不明です。六阿弥陀の対象は、奥座本尊の阿弥陀(三)尊でしょう。
聖徳太子塔と庚申塔
六阿弥陀標識塔の右に聖徳太子塔、そのまた右に庚申塔があります。聖徳太子塔の正面「聖徳太子塔」、左面「萩原邑 松虫〓 職人中」、右面「天保二卯年七月吉祥日」、庚申塔の左面「天明八申十二月吉日慶昌泰林〓」とあります。(天保2年=1831年、天明8年=1788年)
それでは、次に参ります。本堂を向いて右手に進み、スロープを降りて、この写真の右から来て、折り返して三叉路を左折、写真の左に進みます。突き当たり三叉路も左折して、谷津田の右岸を道なりにすすむと、割りと直ぐに、右手に広場があって、その奥に鳥居が見えます。竜泉院(2番)です。
萩原の竜泉院
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
印西大師2番。
広場に入って、左道路側に印西市消防団第9分団第5部の倉庫、左奥に萩原地区構造改善センター、前というか奥の方に、八坂神社の鳥居があって、その奥に社殿、社殿の左に摂末社の祠、社殿の右に2番大師堂、印西大師関連の弘法大師供養塔、また別の大師堂と並んでいます。お寺自体は、廃寺なのでしょう。
広場北西側
萩原地区構造改善センター看板
広場東側
八坂神社
こちらも千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。鳥居の神額は「八坂神社」です。社殿の神額は同じ仕様で2枚あり、右「八坂神社」、左「大杉神社」です。
2番大師堂
台座には「文政十三 三月吉日」とあります。(文政13年=1830年)
弘法大師供養塔
供養塔の正面「南無大師遍照金剛」、左面「先達 笠神村 南陽院 小林村 西福寺 萩原村 龍泉院」、右面「明治廿四年九月廿一日」とあります。(明治24年=1891年)これもまた、おっかない。
番外大師堂
次回は、萩原の観音堂(78番)
次回は、萩原の観音堂(78番)に参ります。