印西大師・印西地区の大師堂巡拝 山田の不動院など

(令和5年6月5日その7)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、山田の円天寺(49番)の次は、山田の不動院などに参ります。
円天寺の山門を出て直進し、突き当たり三叉路を右折、次の十字路、

山田不動院入口十字路
山田不動院入口十字路
ここを左折します。しばらく進んで、行き止まりみたいな三叉路、
山田不動院前
山田不動院前
その右に不動院の大師堂が見えます。

山田の不動院跡

不動院自体は廃寺になっており、大師堂と石塔石仏群のみとなっています。

山田不動院跡
山田不動院跡

大師堂

山田不動院大師堂
山田不動院大師堂
山田不動院大師堂御詠歌額
山田不動院大師堂御詠歌額
山田不動院大師堂堂内御詠歌額
山田不動院大師堂堂内御詠歌額
大師堂の側面に、大師堂再建寄附者芳名と題した札がありますが、
山田不動院大師堂再建札冒頭
山田不動院大師堂再建札冒頭
山田不動院大師堂再建札末尾
山田不動院大師堂再建札末尾
末尾は、印西大師世話人3名のお名前で締められ、この大師堂が印西大師に関連する事を示唆します。
印西大師の明治初期の史料にも、山田の、ふどういん(不動院)が掛所と記されています。

石塔石仏群

大師堂の右後方に、石塔石仏群があります。

山田不動院跡石塔石仏群前列
山田不動院跡石塔石仏群前列
山田不動院跡石塔石仏群後列
山田不動院跡石塔石仏群後列
後列右から2番目の石塔は、比較的新しく、正面「七観音供養塔」とあります。3番目の石仏は「〓徳元〓〓年十月十〓日 奉〓十九夜念佛供」とあります。(江戸時代の〓徳元年=正徳元年=1711年)
それでは、次へ参ります。来た道を戻り、この記事最初の写真の十字路を左折します。そこからは道なりで北へ、なるべく台地の上を通り、下り坂には進まないようにして、十字路から約0.24kmの集落の外れの二股三叉路に至ります。
印西市山田のとある三叉路
印西市山田のとある三叉路
この三叉路の右に、大師堂があります。

山田のとある大師堂

印西市山田のとある大師堂
印西市山田のとある大師堂
印西市山田のとある大師堂扁額
印西市山田のとある大師堂扁額
この大師堂の右に、弘法大師供養塔があります。

弘法大師供養塔

印西市山田のとある大師堂の弘法大師供養塔
印西市山田のとある大師堂の弘法大師供養塔
供養塔正徳の中央「南無大師遍照金剛」、その右「文政十三寅〓月〓」とあります。(文政13年=1830年) 印西大師が文政期に復興した直後のものです。
この近くにはもうひとつ大師堂があります。今の大師堂の前の二股三叉路は左に、直ぐの三叉路を直進してまた直ぐの所、
上鶴巻共同墓地入口
上鶴巻共同墓地入口
斜め右の脇道に入ります。その先は上鶴巻共同墓地になります。

上鶴巻共同墓地

上鶴巻共同墓地の碑
上鶴巻共同墓地の碑
入口すぐに上鶴巻共同墓地の碑、その碑の右前に、馬頭観音の石塔石仏群、そのまま進むと、墓地中央奥目に地蔵堂と大師堂があります。

入口近くの馬頭観音群

上鶴巻共同墓地馬頭観音群
上鶴巻共同墓地馬頭観音群

地蔵堂

上鶴巻共同墓地地蔵堂
上鶴巻共同墓地地蔵堂
上鶴巻共同墓地地蔵堂の地蔵
上鶴巻共同墓地地蔵堂の地蔵

大師堂

上鶴巻共同墓地大師堂
上鶴巻共同墓地大師堂

六十六部供養塔

大師堂の背後にいくつか石塔がありますが、そのうち2基は六十六部供養塔です。

上鶴巻共同墓地大師堂裏石塔群
上鶴巻共同墓地大師堂裏石塔群
上鶴巻共同墓地六十六部供養塔正面左面
上鶴巻共同墓地六十六部供養塔正面左面
上鶴巻共同墓地六十六部供養塔正面背面左面
上鶴巻共同墓地六十六部供養塔背面左面
左端の供養塔の正面は、一番上に種字3字、中央「奉納大乘妙典六十六部日本廻國供養塔」、その左右上部「天下和〓 日月清明」とあります。その右の供養塔、これは、正面の中央「奉納大乘妙典」、中央下「行者清心」、その左右「天保四癸巳年 三月吉日」、左面「長州豊浦郡… 俗名七右衛門 同行二人」とあります。(天保4年=1833年)

次回は、山田の円蔵寺(73番)

次回は、山田の円蔵寺(73番)に参ります。来た道を戻り、この記事最初の写真の十字路を直進して、円天寺入口も通過します。