(令和5年5月12日その4)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、萩原の観音堂(78番)などの次は、大竹(吉高)の大師堂(68番)などに参ります。
観音堂から東南東に延びる道から、右手の墓地にある八坂神社と大師堂に参って、再び道に戻り、東南東方向に進みます。次の三叉路、ここも直進しますと、遂には丘を下ることを余儀なくされます。この坂を下りきると、左手に大師堂が現れます。
印西市萩原株木の大師堂
御詠歌額と書きましたが、冒頭に「亡骸は 〓国の」とは読めたものも、後はさっぱりで、御詠歌なのかも不明です。
印西大師の明治初期の史料には、萩原のこの辺りに、こんけんした(権現下)という掛所があったようです。それとこの大師堂との関係性は不明です。
それでは、次に参ります。大師堂から道路に出て左へ、すぐの三叉路を左に向きます。この写真の左側に大師堂、写真背後の方に進むと松虫の松虫寺(75番)です。そして今日は、写真前方に進んで、次の三叉路を右折します。そのまま道なりに進んで、将来千葉県道12号になるかもしれない新道との交差点、これを横断します。なおも道なりで、三叉路の近接する所は、右・右と曲がって進行方向を南南西に改めます。そのまま道なりで行くと、いんば学舎の前の三叉路に出ます。この三叉路は直進、先の二股三叉路は左です。その先で田圃の中に出て、台地に突き当たる三叉路は左折します。次の三叉路、ここは直進です。なお、この三叉路を右折して次の三叉路で台地の上に上ると松虫寺です。
さて、田圃の中、水路を渡り、反対側の台地に突き当たって右に曲がっての三叉路、ここを左折し、藪の中に入ろうかという所、左側に石段が見えます。大竹(吉高)の大師堂の石段です。
大竹(吉高)の大師堂
印西大師68番。
68番大師堂
これだけです。と思ったら足下に弘法大師供養塔が倒れていました。
弘法大師供養塔
供養塔の正面(上面)の中央「南無大師遍照金剛」、その左右「文政十三庚寅年 八月吉日」とあります。(文政13年=1830年)
なお、大竹とは、地理院地図にも記載がある、この辺りの小字です。
はい、これだけです。
次回は、吉高の西の堂(19番)
次回は、吉高の西の堂(19番)に参ります。来た道を戻って田圃の中に出て、吉高と松虫の境にもなっている用水路を渡ってすぐ右折(北行)し、用水路沿いの道を進みます。
更新履歴
2023年06月24日18時30分、初版公開
2023年06月24日18時50分頃、「東南東方向にに進み」→「東南東方向に進み」、「標識塔の正面」→「供養塔の正面」