(令和5年5月9日その8)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、荒野の安楽院(6番&18番)&荒野の雷公神社の次は、松虫の松虫寺(75番)に参ります。
北総線印旛日本医大駅の北西側、国道464号の歩道上にいます。この駅の西側を南北に走る道に出て左折、その先の三叉路、道幅や位置からして横断歩道があるべき、この三叉路を右折します。そのまま道なりに進んで、道が左カーブして、幅員減少すると、松虫地区入りです。次の三叉路、松虫寺への看板の通りに、右折します。すぐに右手に百庚申が現れます。
松虫の百庚申
道路南側に、屋根付きの大きな庚申塔があり、その左右に庚申塔が多数並んでいます。さて、道路に戻って東に行くと、松虫寺の前に出ます。この写真の右側に駐車場があり、そこに「松虫寺といにしえの田園」と題した案内地図があります。
松虫寺といにしえの田園
さて、松虫寺です。
松虫の松虫寺
真言宗豊山派、松虫寺、印西市松虫7番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師75番。
六阿弥陀木余。狭くはないが、そこまで広くもない境内に、わりといろんな建物・石塔などがあります。まず、駐車場から見て、左に階段・山門、右にスロープそして四脚門があって、四脚門の右に本堂などがあるようです。
山門の先には参道真っ直ぐに薬師堂、薬師堂の背後に松虫姫御廟、この山門・参道・薬師堂に平行して、西側に松虫姫神社の鳥居・参道・社殿、東側に六所神社の鳥居・参道・社殿があり、修行大師像が山門の右に、大師堂が山門入って左にあります。
山門ですが、そこへの階段前右に「松虫寺の概要」の石碑、左に古い手水鉢があります。
「松虫寺の概要」の石碑
これに拠れば、昔、聖武天皇の皇女の松虫姫(不破内親王)が、病を得て、夢のお告げにより下総に下り、萩原郷の薬師仏に祈って平癒した。天皇は行基に命じて七仏薬師を刻み寺を開かせ、松虫寺と命名したという。仁王門(山門)と薬師堂は享保3年(1718年)の改築、本堂は寛政11年(1799年)の建立で、阿弥陀如来、不動明王、松虫姫を祀る。山号は摩尼珠山、院号は医王院。
山門前手水鉢
手水鉢には「寛保元辛酉〓 九月吉祥日」とあります。(寛保元年=1741年)
山門
修行大師像
修行大師像、久しぶりです。今までの印西大師の札所寺院は、天台宗が多かったので。
山門から境内
75番大師堂
薬師堂
遍額には「瑠璃〓」(〓は閣?)とあります。
瑠璃光殿
薬師堂の右後方に、文化財保管庫である瑠璃光殿があります。その前に、瑠璃光殿之碑と、3枚の文化財説明板があります。
瑠璃光殿之碑
七仏薬師説明板
本尊の、木造薬師如来坐像一軀、木造薬師如来立像六軀、併せて七仏薬師如来は、国指定の重要文化財です。
www.pref.chiba.lg.jp
鋳銅孔雀文磬
千葉県の指定文化財です。
www.pref.chiba.lg.jp
鋳銅鰐口
印西市の指定文化財です。(印西市のWebsiteには、松虫寺鋳銅鰐口の個別のページがありません。)
www.city.inzai.lg.jp
次回は、続・松虫の松虫寺(75番)
次回は、続・松虫の松虫寺(75番)となります。境内にある松虫姫神社と六所神社にも参ります。