印西大師・印西地区の大師堂巡拝 大森の長楽寺(8番&43番)

(令和5年4月13日その9)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、古新田(大森)の弥陀堂(31番)&大森の星光院(59番)の次は、大森の長楽寺(8番&43番)に参ります。
星光院59番大師堂から、(2023年時点の)千葉県道4号との十字路を渡って、上宿古墳と長楽寺への案内板のある変則十字路に至り、

上宿古墳と長楽寺の案内板のある十字路(再掲)
上宿古墳と長楽寺の案内板のある十字路(再掲)
案内通りに左折しました。その先、藪の中、少し下って道が右にカーブした後、三叉路に出ます。
大森長楽寺東側参道入口
大森長楽寺東側参道入口
ここは舗装道だけ見ると三叉路ですが、右に行く舗装道の直ぐ左側に未舗装の道が真っ直ぐに延びています。これが長楽寺の参道になります。

大森の長楽寺

天台宗、長楽寺、印西市大森2034番地1。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師8番&43番。
総州六阿弥陀4番。
参道を進むと、左に墓地を見て、やがて本堂のあるスペースに出ます。

大森長楽寺境内本堂前
大森長楽寺境内本堂前
この本堂の左前に梵鐘についての説明板、本堂前から左に境内が延びていて、そちらを進むと途中右に8番大師堂、さらに進むと山門の横に出ます。山門の左は危なそうな下り階段、右は普通の登り階段の上に、真っ直ぐ進むと観音堂、観音堂の右前に鐘楼、観音堂の左に43番大師堂があります。

本堂

大森長楽寺本堂
大森長楽寺本堂

梵鐘の説明板

大森長楽寺梵鐘説明板
大森長楽寺梵鐘説明板
これに拠れば、梵鐘は応安2年(1369年)に寄進された、千葉県の指定文化財。旧観音堂は旧国宝(現在の国宝を含む重要文化財に相当)だったが昭和25年に浮浪者の失火により焼失、新観音堂は平成元年の再建。(昭和25年=1950年、平成元年=1989年)
www.pref.chiba.lg.jp

境内

大森長楽寺境内イチョウ根本
大森長楽寺境内イチョウ根本
本堂左前のイチョウの根本に、中国(儒者)風の石像、その側に小さな弘法大師座像がありました。
大森長楽寺境内奥
大森長楽寺境内奥
この写真中程に8番大師堂、奥に山門です。

8番大師堂

8番大師堂
8番大師堂
印西大師8番番号札
印西大師8番番号札
明治初期の史料では、8番は大森の、たにのとう(谷ノ堂)で、後述する43番千手堂の直ぐ近くにあったようです。因みに、本家四国八十八ヶ所8番は熊谷寺(くまだにじ)です。

山門

大森長楽寺山門
大森長楽寺山門
大森長楽寺山門の先
大森長楽寺山門の先

鐘楼と新梵鐘

大森長楽寺鐘楼
大森長楽寺鐘楼
大森長楽寺新梵鐘
大森長楽寺新梵鐘
こちらの梵鐘には「平成元年八月吉日」とあります。

新観音堂

大森長楽寺新観音堂
大森長楽寺新観音堂
大森長楽寺新観音堂香炉
大森長楽寺新観音堂香炉
香炉より、山号は雲冷山、観音堂の主は千手観音。また観音堂の扁額には「長壽観世音」とあります。

43番大師堂

 43番大師堂
43番大師堂
印西大師43番番号札
印西大師43番番号札
明治初期の史料では、43番は大森の、せんしゆとう(千手堂)とあり、この千手とは、長楽寺観音堂の千手観音、且つ/又は、本家四国八十八ヶ所43番明石寺の本尊である千手観音を指すのでしょう。

観音堂近くの庚申塔群

大森長楽寺観音堂近くの庚申塔群
大森長楽寺観音堂近くの庚申塔群
43番大師堂の左に庚申塔がまとまってあります。写真の右端の庚申塔は、正面中央「奉起立庚申待成就之由」、その右「天和三癸亥十月廿二日」。右から4番目の庚申塔、正面中央「青面金剛尊」、その左右「寛延四辛未天 九月吉日」とあります。(天和3年=1683年、寛延4年=1751年)

観音堂左奥からの境内

大森長楽寺観音堂左奥からの境内
大森長楽寺観音堂左奥からの境内
なお、総州六阿弥陀4番らしい所は見当たりませんでした。
いつもの様に、カメラの電池切れにつき、今日はこれまでとします。本日は、印西大師の番付札所を11ヶ所、他の大師堂を2ないし3ヶ所参りました。

更新履歴

2023年05月08日18時30分、初版公開
2023年05月24日09時00分頃、「ヵ所」→「ヶ所」