(令和5年5月9日その9)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、松虫の松虫寺(75番)の続きです。境内にある松虫姫神社と六所神社にも参ります。
松虫の松虫寺
真言宗豊山派、松虫寺、印西市松虫7番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師75番。
六阿弥陀木余。
松虫姫御廟
薬師堂の背後に松虫姫御廟があります。御廟の左前に松虫皇女之御廟の石塔、御廟の右に松蟲姫碑があります。
松虫皇女之御廟の石塔
石塔の正面「松虫皇女之御廟」、左面「文化九壬申三月吉辰」、右面の願主には、萩原邑、吉高邑3名、角田村(本願主)、松虫村の計6名が、苗字有で記されています。(文化9年=1812年)
松蟲姫碑
松蟲姫者、盖貴人子也。有故畧譜系、唯存古稱矣。天平某年、齢十四、不幸有疾、醫藥無効、適有所夢、因自請遠至此地。日夜祈七佛藥師、而得癒後留住。以寳亀五年二月十五日終焉。墓而不墳、有舊株是其表也。於是里民或恐後世其無以澂也乃相共謀遂樹此碑、以不朽之。
銘曰
旛湖之西 松虫之中
此地有縁 永留芳蹤
知命守静 死有光瑩
春秌禋祀 久而加敬
明治二十四年二月十五日 續 簡撰文
従四位 藤嶌正健篆額 熊谷傳三謹書
(句読点は原文には無く筆者追加、なので一部不足してます。天平年間=729年から749年、宝亀5年=774年)
薬師堂の左(西)側は松虫姫神社です。
松虫の松虫姫神社
松虫姫神社、印西市松虫1番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
鳥居
参道
写真の右は薬師堂で、社殿は参道の先になります。
社殿
社殿の左前に松虫姫神社建立記念碑があります。
松虫姫神社建立記念碑
松虫寺薬師堂の右(東)側は六所神社です。
松虫の六所神社
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
鳥居
社殿
松虫姫神社の西側は、松虫寺の境内に復しますが、境界ははっきりしません。
松虫寺(松虫姫神社より西側)
このサイド、姫神社の参道すぐ左に薬師堂の記念碑があり、薬師堂の左側、姫神社社殿の左前方に、石塔石仏があります。
薬師堂の記念碑
薬師堂左の石塔石仏群
下の写真の右端は「天保三壬申 閏霜月吉日」、その隣の出羽三山供養塔は、正面に「湯殿山」を中央高く記し右「月山」左「羽黒山」、右面「天保二辛卯年十月良辰」、その隣の一番大きな石仏(愛染明王?)の右面「嘉永元申年九月吉日」、その隣の石塔は正面の中央「奉納大乘妙典日本回國」、その右上は多分「寛政」、右下「松虫村」で六十六部供養塔です。(天保3年=1832年、嘉永元年=1848年、寛政年間=1789年から1801年)
この石塔石仏群の西側は墓地ですが、墓地の南側にも石塔石仏群があります。
墓地南の石塔石仏群
この石塔石仏群の南西に、松虫区構造改革センターがあります。
松虫区構造改革センター
ここから境内の東側に回ります。
四脚門
この門から先には入れないようです。従って、本堂にも参拝できません。
門前に六阿弥陀の標識塔がありました。
六阿弥陀標識塔
標識塔の正面中央「六阿弥陀如来」、その右上「木餘」、右面「昭和七年九月廿日」とあります。(昭和7年=1932年) 何の六阿弥陀かは不明ですが、本堂に祀られている阿弥陀如来が対象なのでしょう。この写真の左に山門、右に四脚門です。
帰宅
帰宅します。本日は、再訪分は含まずに、印西大師の番付札所5ヶ所、それ以外の大師堂4ヶ所に参りました。
最後に、松虫区構造改革センターの南側、道路の向かいに、印西市消防団第9分団第6部の倉庫を発見しました。