印西大師・印西地区の大師堂巡拝 荒野の安楽院(6番&18番)、序に荒野の雷公神社

(令和5年5月9日その7)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、続・中根の東漸寺(35番&45番)の次は、荒野(こうや)の安楽院(6番&18番)に参った後、荒野の雷公神社に寄り道します。
既に安楽院の前に来ています。

荒野安楽院前(再掲)
荒野安楽院前(再掲)

荒野の安楽院

天台宗、安楽院、印西市荒野458番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師6番&18番。
入口から境内に入って、まず左に印西市消防団第13分団第6部の倉庫があり、境内を進むと右手に18番大師堂、印西大師関連の弘法大師供養塔など、一方、左手にはお堂、6番大師堂、荒野コミニテイセンターがあります。また、入口の前にも石仏があります。

石柱門と門前の石仏

荒野安楽院石柱門と門前の石仏
荒野安楽院石柱門と門前の石仏

境内

荒野安楽院境内
荒野安楽院境内

18番大師堂

18番大師堂
18番大師堂
印西大師18番番号札
印西大師18番番号札
18番大師像台座
18番大師像台座
台座には「大正拾一年三月再建」と書いてあります。(大正11年=1922年)

弘法大師供養塔

荒野安楽院弘法大師供養塔正面左面荒野安楽院弘法大師供養塔正面右面
荒野安楽院弘法大師供養塔
供養塔の正面「南無大師遍照金剛」、左面「先達 笠神 南陽院 小林 西福寺 萩原 龍泉院」、右面「大正十一年三月二十一日」とあります。
荒野安楽院弘法大師供養塔台座
荒野安楽院弘法大師供養塔台座
ここの台座も、ちょっと危うい。
さて、印西大師の明治初期の史料には、18番札所は荒野の、ここから少し離れた場所に、なぎのとう(名木ノ堂)としてあったようです。

6番大師堂

6番大師堂
6番大師堂
印西大師6番番号札
印西大師6番番号札
印西大師の明治初期の史料でも、6番札所は安楽院となっています。

お堂

荒野安楽院のお堂
荒野安楽院のお堂
荒野コミニテイセンターが本堂を兼ねていないならば、これが本堂となります。

荒野コミニテイセンター

荒野コミニテイセンター看板
荒野コミニテイセンター看板

門の左の石仏

荒野安楽院門の左の石仏
荒野安楽院門の左の石仏
写真右の石仏には、右上「十九夜講中」、右下「荒野村」、左「申歳霜月吉日」とあります。
それでは、次へ参ります。石柱門から、ほぼ真っ直ぐ南西方向に出て、すぐの三叉路、
荒野安楽院近くの三叉路
荒野安楽院近くの三叉路
この写真の左から来て、奥の方に左折します。その先直進すると、ごちゃごちゃした交差点に出ます。
荒野雷公神社前交差点
荒野雷公神社前交差点
この交差点、左折(北行)すると中根の東漸寺(35番&45番)に至り、右折するとすぐ千葉県道65号に出ます。しかし、ここは写真左奥の方に進みます。すると、写真中央の青色の待合小屋みたいな建物の向こう側に、
荒野雷公神社入口
荒野雷公神社入口
「村社雷公神社」の社号標があります。寄り道します。

荒野の雷公神社

雷公神社、印西市荒野630番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
参道を真っ直ぐに進んで、杜に入って鳥居、その先真っ直ぐに拝殿、社殿の周囲に摂末社です。なお、大師堂はありません。

鳥居

荒野雷公神社鳥居
荒野雷公神社鳥居

拝殿

荒野雷公神社拝殿
荒野雷公神社拝殿

本殿

荒野雷公神社本殿右側
荒野雷公神社本殿右側
荒野雷公神社本殿左後方
荒野雷公神社本殿左後方

摂末社

荒野雷公神社摂末社
荒野雷公神社摂末社
それでは次ですが、迷います。
カメラの電池残量からして、そう沢山は回れない。萩原地区は低地に2ヶ所、台地に2ヶ所、少し離れた低地に1ヶ所で、全部は回れそうにないし、今は台地に居るので低地には降りたくない。とすると、古刹、松虫の松虫寺(75番)か、国重要文化財薬師堂を擁する角田の栄福寺(65番)か、どちらにしようか。まあ、国道464号を越えないということで、松虫寺にしました。
雷公神社の参道を戻っての交差点、
荒野雷公神社出口交差点
荒野雷公神社出口交差点
ここを斜め左に出て、すぐの県道65号の交差点を左折し、そのまま県道を南に進みます。国道464号との交差点は左折し、国道の北側歩道を通りますと、北総線の印旛日本医大駅の北西側に出ます。
北総線印旛日本医大駅
北総線印旛日本医大駅

次回は、松虫の松虫寺(75番)

次回は、松虫の松虫寺(75番)に参ります。