(令和5年6月5日その9)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、山田の円蔵寺(73番)&山田の宗像神社の次は、山田の仲井堂(56番)などに参り、山田の第六天にも寄り道します。
宗像神社の参道・鳥居から南西に進みます。信号のある十字路交差点のひとつ前の交差点で、左側手前にお堂があります。
山田宗像神社南西のお堂
お堂の中には、庚申塔1基が祀られています。また、お堂の右にいくつか石塔があります。この中で一番大きい石塔は、正面の最上部に種字、その下「普門品一万郶供養〓」、その左右「文化十二乙亥歳 二月吉日」とあります。(文化12年=1815年)
次です。信号交差点を横断しますと、次の三叉路の角に墓地があり、そこに大師堂があります。
山田仲井の墓地の大師堂
印西大師の明治初期の史料には、山田の、はたけなか(畑ヶ中)が掛所と記されています。前後の札所・掛所との距離的には、この大師堂が該当しますが、それ以上の事はわかりません。
次です。信号交差点からの道をそのまま南西に進みます。集落の中を道なりに行くと、左手に小さな広場が出てきます。その奥に、仲井堂の大師堂があります。
山田の仲井堂
この広場の左側に集会所、大きめのお堂があって、奥に小さなお堂がふたつあり、そのうち左側が56番大師堂です。
集会所の看板
看板には「仲井集会所」とあるような気がします。仲井というのは、地理院地図にも記されている、この辺りの小字でしょう。
お堂
56番大師堂
観音像
大きなお堂の右に、古い石仏があります。この石仏の右「奉造立觀世音〓〓念佛衆三十三人菩提」、左「寛文十三〓年十月八日導師〓〓敬白」とあります。(寛文13年=1673年)
次です。来た道を戻り、墓地の大師堂の北側三叉路(、信号十字路の手前、)を左折します。信号十字路からの道に突き当たって左に行くと、仲井バス停の先、直角分岐の三叉路は直進して、次の旧道分岐っぽい三叉路、ここは左に入ります。その先で道が左にカーブする所、右(直進方向)に鳥居がありますので、寄り道します。
山田西の第六天
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
鳥居の先、参道真っ直ぐに本殿です。大師堂はありません。
鳥居
鳥居の神額には「第六天」とあります。鳥居の柱の右後ろに「元禄十四年六月十五日」とありますが、鳥居自体は新しいものです。(元禄14年=1701年)
本殿
手水鉢
手水鉢には「嘉永四 十一月」とあります。(嘉永4年=1851年)
次です。鳥居から道路に出て右に、そのままカーブするところ、右の木の根本に二十三夜塔がありました。
二十三夜塔
塔の正面中央「廿三夜塔」、その右「南山田渡〓〓道」、右面「東宗吾成田道」、左面「西安喰木下道」とあって、道標を兼ねていたようです。
その昔、今の千葉県道65号に相当する道は、この辺りで直角に折れていました。この二十三夜塔も、方向は90度ずれているが、この辺にあったのでしょう。次です。この道を南に進むと、県道65号に合流する手前で、右の墓地の一角に大師堂があります。
山田西の大師堂
大師堂の右上に、このようなものが。これにより、この大師堂が印西大師と関係している事がわかります。
印西大師の明治初期の史料には、山田の、にしのとう(西の堂)が掛所と記されています。また、地理院地図より、この辺りの小字が西である事もわかります。おそらくこの大師堂は、西の堂の系譜にあるものでしょう。
帰宅
今日はこれまでです。本日は、印西大師の番付札所5ヶ所、それ以外の場所にある大師堂9ヶ所に参りました。