(令和6年4月10日その4)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、六崎組十善講八十八ヶ所巡拝、内黒田の西光院(千63番)の次は、物井(ものい)の円福寺(千64番&千65番&千66番)に参ります。
西光院から南方、池花2丁目西端にある内黒田自治会館、その北側にある石塔石仏群を観ていました。( 四街道市池花ってもともと内黒田ですよね。) そこから南に進んでの信号交差点、ここを左折、後はずっと直進で東へ、千葉県道64号千葉臼井印西線も横断します。その先、道幅が狭くなっても直進で、その先ようやく突き当たった丁字路、右に曲がって、それからまた直進。県道136号佐倉停車場千代田線も横断して、こちらの交差点で左折、すぐの丁字路、右折します。ようやく、団地造成区画を抜けて古道に入り、直進すると下り坂となる十字路、円福寺と天照皇大神社の案内看板の通りに左折します。少しだけ下っての(元二股)三叉路、円福寺案内看板の通りに右に入り、次の丁字路、またも円福寺案内看板の通りに左折します。すると、右手に円福寺駐車場、駐車場の奥に天照皇大神社、左に円福寺境内への参道があります。少し進むと、道が右に曲がる左手に円福寺です。
物井の円福寺
真言宗豊山派、円福寺、四街道市物井856番地1。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講八十八ヶ所64番。(円福寺)
千葉寺十善講八十八ヶ所65番。(金剛寺)
千葉寺十善講八十八ヶ所66番。(宝蔵院)
六崎組十善講八十八ヶ所番外。
入口に少しスペースがあって、左に石塔石仏群、右は墓地、正面に山門、山門の右に本堂、さらに右に大師堂です。
入口左石塔石仏群
この中から、左道路際の一角、これら写真で左から2番目の一番大きな石塔は、正面の中央「秩父三十四番供養塔」、その右「右 山梨 馬渡 道」、その左「左 太田 佐倉 道」、右面「明治七甲戌〓月建」で道標を兼ねています。(明治7年=1874年)
この石塔石仏群、境内の東端、木の影にも古いものがありました。この中から、像を彫ってある石仏、中央最上部に種字、その下「秩父 講中」、左「安永九〓子〓月吉日 物井村願主」。(安永9年=1780年)
山門
扁額は「藥師尊」。
入口右六地蔵等
右手墓地の入口には、古めの六地蔵があります。六地蔵の左に、「南小学校発祥の地」と題する石碑がありました。
南小学校発祥の地碑
正面「南小学校発祥の地」、右面「明治六年四月六日ー 昭和二年九月三十日まで」。物井小学校→物井尋常小学校→千代田南尋常小学校→移転→複数回の名称変更を経て→四街道市立南小学校だそうです。
本堂
本堂というか、本堂の玄関なのでしょうか。
大師堂
64番から66番までの御詠歌を掲示。
花輪寺記念碑
大師堂の裏手、墓地の隅に、花輪寺の記念碑がありました。これに拠れば、花輪寺は、(四街道市)山梨の大隆寺(千71番)末寺だったが、廃寺後も檀家によって境内地と墓地が守られていた。「四街道都市計画事業物井特定土地区画整理事業の仮換地によって移転」したが、僧侶の墓石2基を円福寺墓地に、仏像1体を円福寺本堂に移た。碑の日付は「平成二十一年七月吉日」。(平成21年=2009年)
それでは次ですが、円福寺駐車場の北にある天照皇大神社に寄り道します。道を戻って駐車場を経由して神社へ。
次回は、物井の天照皇大神社&栗山の香取神社
次回は、物井の天照皇大神社、続けて、栗山の香取神社に寄り道します。