(令和6年3月16日その9)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、佐倉市上志津の八幡神社に寄り道の次は、上志津の鷲宮神社を経由して、西福寺(48番)に参ります。
八幡神社の東側参道入口を出たところです。そこから左にちょっと出て反転すると、右が八幡神社で、道路を挟んで左に小さな鳥居と祠の鷲宮神社があります。
上志津の鷲宮神社
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。手水鉢の正面「奉納」、右面「嘉永七 寅十一月」。(嘉永7年=1854年)
さて再度反転して、つまり八幡神社を出て左になる方へ進み、すぐの突き当たり丁字路、突き当たり正面に三山供養塔群、その右に西福寺です。
上志津の西福寺
真言宗豊山派、西福寺、佐倉市上志津1240番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講八十八ヶ所48番。
境内道路側の西端に三山供養塔群、東端に入口、入口入って、まず左に標柱、左右に石塔石仏群、その後右に48番大師堂、奥に本堂、本堂の左前に西福寺再建記念碑、本堂の右横に宝篋印塔があります。
三山供養塔群
こちらにも、お祀りした跡がありました。
入口
標柱
これに拠れば、約400年前に、井野の千手院(57番)の隠居寺として創建。
石塔石仏群
入口入って右手に子安塔群です。その中の右端(道路側)は、「庚天保十一年 〓〓月吉〓」。(天保11年=1840年)
子安塔群の左に、百観音供養塔があります。正面は種字に「奉供養西國百番大願成就所」、「西國」の左右に「坂東 秩父」、右面「天下泰平 風雨順時 五穀成就 萬民富樂 安政三年丙辰四月吉日 當山 法印果觀 敬白」。(安政3年=1856年)
一方、入口入って左手には秩父観音供養塔群です。この中から、前列右から2番目の供養塔、正面は種字に「秩父觀世音供養塔」、左面の末尾「于時安政三年歳次春三月吉〓 清水山 現住果觀謹言」。
本堂
西福寺再建記念碑
読んでいくと読めなくなる。
宝篋印塔
この写真での正面には「元禄十六年 癸未二月」。(元禄16年=1703年)
48番大師堂
ほぼ読めないが、48番の御詠歌と仮定して矛盾はないようです。
帰宅
今日はここまでとします。本日(16日)は、43番、44番旧地、44番、番外、45番、46番、47番、48番、それに神社7ヶ所に参りました。