(令和6年3月9日その8)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、天戸町の福寿院(40番)の次は、花島町(はなしまちょう)の天福寺花島観音(41番&42番)と天津神社に参ります。
御成街道( 千葉県道69号長沼船橋線 )の花島交差点から北に進み、次の二股三叉路は右に折れました。
その後は道なりで進み、花島公園の南側を通って、坂を下ると、花見川に架かる花島橋の手前、丁字路を左に入ります。直ぐに目前に天福寺花島観音の入口となります。敷地の一部(東側・花見川側)は天津神社ですが、明瞭な境界は南側の一部だけです。
花島町の天福寺&天津神社
天津神社、千葉市花見川区花島町364番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
真言宗豊山派、天福寺、千葉市花見川区花島町60番地。(千葉県の宗教法人名簿より。この住所は観音堂とは別の場所を指します。)
千葉寺十善講八十八ヶ所41番。(天福寺)
千葉寺十善講八十八ヶ所42番。(花島観音)
南側入口から上り階段があって、階段途中右に天津神社鳥居、階段上った先に山門、山門の先真っ直ぐに観音堂、山門の先左に古い手水鉢、十九夜塔などの石仏群、普門品供養塔、観音堂の右側が天津神社社殿、観音堂の後方に本堂、本堂左に41番&42番大師堂です。
天津神社入口鳥居
神額は「天津神社」。
擁壁工事等記念碑
鳥居の逆サイドの壁に、擁壁工事等の記念碑が嵌めてありました。これに拠れば、天福寺の創建は天福元年(1233年)、山号は花嶋山。
山門
石仏群
手水鉢の正面「奉納」、右面「文化〓」(〓は二、または元の上半分)、左面「十九夜男女講 世話人」で名字付き氏名3名。(文化元年=1804年)この写真、左の石仏は、左に「戊午年」?、右「十九夜講中」?、自信なし。中央の石仏は、中央「奉供養」、右「〓九〓念佛講中」、左「…月十九日」。右の石仏は、中央最上部に種字、右「奉修拾九夜観音諸願成就…」、左「…十月十九日」。上2枚の写真右側の子安塔は、正面「十九夜女人講中…」、左面「文政五年午〓月十九日」。(文政5年=1822年)
普門品供養塔
この供養塔の正面「普門品一億五萬巻供養塔」、背面「安政二年乙卯 四月二十有一日建之」。(安政2年=1855年)
木造十一面観音立像説明板
花島観音の木造十一面観音立像は千葉県指定の有形文化財です。
www.pref.chiba.lg.jp
観音堂
扁額は「観世音」。
天津神社側
こちらの神額も「天津神社」。
本堂
本堂側は、立ち入りが憚られる雰囲気です。扁額は「天福寺」。
41番&42番大師堂
右は42番御詠歌、左は字がかすれていて判読できません。
北西側入口
北西側の入口から出まして左へ、南側入口前を通過して、丁字路も左で、花島橋に出ます。
帰宅
今日はここまでとします。本日は、35番、36番&37番、番外、番外&水神宮、38番&39番、40番、41番&42番&天津神社、他の神社3ヶ所に参りました。