(令和6年3月16日その1)(同月18日追加その2)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、本日(16日)は、柏井町(かしわいちょう)の泉蔵寺(泉蔵院)(43番)から始め、その後で大杉神社に寄り道します。
本日の出発点は、前回の最後の札所、花島町の天福寺花島観音(41番&42番)です。こちらから前回の最後と同様に、南へ進んで丁字路を左折し、花見川に架かる花島橋を渡ります。でもって、対岸の交差点、ここを、左上に右上に坂を上ります。坂上の三角町交差点、ここは左折、次の二股三叉路( 実は五叉路 )、こちらは直進気味の左で、後はセンターラインに合わせた道なりで少し左に曲がった後、下り坂からの右にカーブするところの左が目的地です。
柏井町の南柏井町内会館・泉蔵寺
真言宗豊山派、泉蔵寺、千葉市花見川区柏井町174番地1。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講八十八ヶ所43番。(泉蔵院)
入口入って右に43番大師堂、その右道路側に石塔石仏群、敷地の中央に南柏井町内会館、後は墓石などですが、いかにもお寺の本堂という印象の建物はありません。道路の反対側には石祠がありました。
向かい側の石祠
写真の右の石段の上には、道祖神の石祠があります。
南柏井町内会館看板
43番大師堂
石塔石仏群
石塔石仏群のうち、綺麗に整理されたものから取り上げます。記念碑の碑文も参考にすると、この中の左の六十六部供養塔は、正面中央「奉納大乘妙典日本六拾六部回國供養」、その左右「明和五子年 正月吉日」。中央の地蔵像は、右「無縁精霊菩提也」、下「横戸村 〓柏井〓 〓柏井〓」で、寛政九年四月二十四日のもの。右の墓石は、複数名の戒名がありますが、右面のものが「天明三卯天 十一月廿六日」の「川ホリ人足」のものだそうです。(明和5年=1768年、寛政9年=1797年、天明3年=1783年)
この整理された石塔石仏群と大師堂の間にも、石塔石仏群があります。ほとんどが墓石ですが、中には十九夜塔などがあります。この十九夜塔は、中央その右その左に左に「奉造立 如意輪觀音 為二世安禾 十九夜講中」、右端「寛延元辰十月十九日」。(寛延元年=1748年)右「文化九〓十月吉日」?、左「南柏井村」。(文化9年=1812年)それでは次へ参ります。南柏井町内会館・泉蔵寺を出て道路を右へと少し戻ります。道が右に少し曲がった後の丁字路、ミラーの反対側へ左折、道なりに右に曲がった後の丁字路、ここも左折(東行)すると、左に小さな神社が見えたので、寄り道します。
柏井町の大杉神社
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。鳥居、本殿の小さな神社で、本殿の右に三山供養塔群、本殿の後方に石塔石仏群があります。大師堂はありません。
鳥居
神額は「大杉神社」。
本殿
手水鉢
手水鉢の正面「奉納」、左面「慶應三卯年 八月吉日立」。(慶応3年=1867年)
三山供養塔群
供養塔群中の左最後方の供養塔、正面中央は種字に「湯殿山」、その左右「月山 羽黒山」、左面「天保十一庚子年二月吉日」。(天保11年=1840年)
石塔石仏群
仙元宮の正面「仙元宮」、右面「嘉永六丑十一月吉日」。(嘉永6年=1853年)馬頭観音像の中央最上部に種字、右「奉造立馬頭觀世音」、左「文化十酉年十一月吉日」。2枚の写真で、右の庚申塔から正面「庚申塔」、右面「嘉永元戊申十一月吉日」、左面「…井村」。左の庚申塔は正面「青面金剛王」、右面「文化九壬申年十月吉日」、左面「南柏井村中」。
次回は、大日町の大聖寺(44番)旧地&豊受神社
次回は、大日町( 元の宇那谷村 )の大聖寺旧地近くを通った後、大日町の豊受神社( 元の宇那谷鹿島神社旧地 )に寄り道します。鳥居から南へ戻っての丁字路を左折します。