(令和6年3月3日その7)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、幕張町の岩屋大師(番外)遥拝&大須賀山などの次は、幕張町の子守神社に寄り道した後、宝幢寺(30番&31番&32番&33番)に参ります。
大須賀山前から房総往還を東に進んで信号十字路を左折、その後直進で、房総往還の子守神社入口に来ています。そのまま直進です。
幕張町の子守神社
子守神社、千葉市花見川区幕張町2丁目990番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
下総三山の七年祭りの子守。
子守神社の読みは「こまもりじんじゃ」。
参道鳥居の先は、先ず右手に天神社、参道真っ直ぐに拝殿、拝殿前から右に入って稲荷神社、拝殿左後方に厳島神社です。なお、大師堂はありません。
鳥居
神額は「子守神社」。
天神社
拝殿
稲荷神社
厳島神社
本殿
本殿は覆屋で完全に囲われていますが、一部はガラス越しに拝見できます。さてこの子守神社ですが、古いものが見当たらないのでした。
それでは、宝幢寺に参ります。天神社の反対側に、細い路地がありますので、そちらに入ります。すぐの角にて右を向いて、写真の右から来て奥の方へ( 右折して )進みます。すると直ぐに、右手に墓地が現れます。この角を右折すると、左手に宝幢寺の入口です。
幕張町の宝幢寺
真言宗豊山派、宝幢寺、千葉市花見川区幕張町二丁目1003番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講八十八ヶ所30番。(宝幢寺)
千葉寺十善講八十八ヶ所31番。(福寿院)
千葉寺十善講八十八ヶ所32番。(竜性院)
千葉寺十善講八十八ヶ所33番。(阿弥陀寺)
こちらの入口ですと、まず入口右前に(千葉市指定)重要文化財を示す標識塔、入口入って右手奥の方に石塔石仏群、少し進んで右に大師堂と修行大師像、左の墓地の角に宝篋印塔、そして右前方には新しい山門、その先参道真っ直ぐに本堂です。
古い入口
千葉市指定重要文化財標識塔
この石塔には、「重要文化財 宝幢寺の大日如来像と阿弥陀如来像」とありますが、これらは千葉市指定の有形文化財です。
www.city.chiba.jp
このうち、大日如来像は、幕張町大須賀山の大日堂にあったものです。
境内その1
石塔石仏群
写真左の庚申塔は、「寛政十二庚 申十一月吉日」。(寛政12年=1800年)
修行大師像
大師堂
さて、御詠歌額ですが、先ず右端は「第三十番」、その後に30番御詠歌、次に「第三十一番」、31番御詠歌、中央は「〓三十二〓」、32番御詠歌、そして「〓三十三〓」、33番御詠歌、最後に「〓三十四〓」、34番御詠歌です。つまり30番から34番までの連番5ヶ所の御詠歌を掲示しています。現代の千葉寺十善講では、宝幢寺には30番から33番までの連番4ヶ所が割り当てられていますが、少し古い史料には、30番東医寺、31番福寿院、32番竜性院、33番阿弥陀寺、34番宝幢寺と書かれています。おそらくは近年になって、34番を他地区に転出させて、30番を東医寺から宝幢寺に変更したのでしょう。
宝篋印塔
塔身の末尾には「寳幢寺秀〓」と読めなくもない。
境内その2
古い航空写真を見ると、この空きスペースに旧本堂などがあったようです。
新山門
山号は補陀落山。
本堂
扁額は「寳幢寺」。
それでは、次へ参ります。墓地の北側にある、JR総武本線と京成千葉線を跨ぐ歩道跨線橋を渡ります。その途中で、宝幢寺などが見えます。
次回は、屋敷の屋敷会館・天津神社(宝堂院)(34番)
次回は、習志野市屋敷の屋敷会館・天津神社(宝堂院)に参ります。歩道跨線橋を渡り切ります。