(令和6年3月3日その6)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、検見川町の宝蔵院(29番)&検見川神社の次は、幕張町(まくはりちょう)の宝幢寺(30番&31番&32番&33番)に参る前に、岩屋大師(番外)を遥拝し、大須賀山などに寄り道します。
検見川神社南側鳥居を出て、すぐの京成千葉線の踏切、
花見川を渡っての右丁字路、
幕張町の岩屋大師
千葉寺十善講八十八ヶ所番外。
房総往還に戻ります。新道( 国道の旧道 )と合流して、さらに西北西へ、千葉県道205号幕張停車場線との幕張駅入口交差点は直進します。次の県道57号&262号との幕張町4丁目交差点の手前、
次の小さな信号横断歩道、
幕張小学校( 馬加村龍生院関連 )
幕張小学校は、明治6年(1873年)に「馬加村龍生院を教場として開校」しました。(千葉市立幕張小学校:沿革) 一方で龍性寺は明治5年の「無檀・無住寺院の廃止令」通達によって、宝幢寺に統合されます。(寳幢寺について | 宝幢寺) そして、千葉寺十善講八十八ヶ所32番札所は龍性院という名で宝幢寺にあります。龍生院・龍性寺・龍性院と表記は揺れますが、これらは同一の寺院を指すのでしょう。
さて、南側から入ると、行き止まりですね。
( さらに、この記事執筆中に見つけた資料 下総国千葉郡馬加村 - 国立国会図書館デジタルコレクション を見ると、龍生院は子守大明神つまり子守神社の南西にあったようにも見えます。)
房総往還に戻ります。一度北向きになった道も緩くカーブして西向きになり、そして左に曲がります。
幕張町の大須賀山( 堂の山 )
房総往還( 千葉県道57号&262号 )沿いの入口は、この小山の東側で、入口右に文化財の説明板があります。
大須賀山の自然と文化財説明板
荒馬紋蔵墓
ja.wikipedia.org
首塚
このまま真っ直ぐ進んで、
首塚は馬加康胤(1456年没)(馬加康胤 - Wikipedia)のものとされますが、五輪塔は康胤没後から181年後に建立されたことになります。
なお、大日堂自体は見当たりませんでした。
そして、首塚の北側、来た道とは反対方向へ抜けた後、ぐるっと回って大須賀山の西側から房総往還( 千葉県道57号&262号 )に復帰して東へ、大須賀山の南側を通ると、左手、大須賀山側に庚申塔などがありました。
庚申塔と一等水準点
次回は、幕張町の子守神社&宝幢寺(30番&31番&32番&33番)
次回は、幕張町の子守神社に寄り道した後、宝幢寺に参ります。