(令和6年2月26日その3)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、犢橋町広米の大師堂(番外)の次は、宮野木町(みやのぎちょう)の愛宕神社に寄り道後、地蔵院(22番)に参ります。
千葉県道72号穴川天戸線宮野木町交差点を北東へ、次の交差点は左の馬頭観音群に参った後に右へ、そして左手の愛宕神社前に来ました。
宮野木町の愛宕神社
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
参道階段下に左に略記説明板、階段上って鳥居、その先社殿です。なお、大師堂はありません。
略記説明板
これに拠れば、ご祭神は迦具土神(かぐつちのかみ)、例祭日は7月25日、管理は検見川神社。これら以外は一般論しか書いていないですね。
階段は上らず、左手にある坂道から上って反転します。この写真左に地蔵院本堂が見えます。
鳥居
社殿
それでは、次の地蔵院ですが、ちょっと社殿の右へ行ってみます。人の通った跡があるので、奥へ進むと、境界を示す杭の間を進むと、地蔵院の裏に出ました。右に折れると階段です。(猫さん居たのか。)
宮野木町の地蔵院
真言宗豊山派、地蔵院、千葉市稲毛区宮野木町1192番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講八十八ヶ所22番。
当地は、迅速測図では延壽寺と記されています。
境内を南東に突っ切って、反対側から改めて、入口に特に門は無く、入って右に宮野木会館、左に手水鉢、さらに左に石塔群、境内進んで左に宝篋印塔、22番大師堂、記念碑、境内奥が高くなって本堂です。
宮野木会館看板
手水鉢
手水鉢には「天明元丑年 六月吉日」。(天明元年=1781年、改元は4月2日)
石塔群
この写真の範囲では、ほとんどが秩父三十四番供養塔ですが、一番奥の石塔は、正面の中央は種字に「湯殿山」までははっきり見え、その下は細い字で「西國秩父坂東観音供養塔」とあるような、その左右は上段「月山 羽黒山」に下段「天下泰平 大願成就」、右面「嘉永元戊申十一月吉日」で三山供養塔(兼百観音供養塔)です。(嘉永元年=1848年)
宝篋印塔
塔身の文言末尾は「〓〓永五天〓〓二月下旬 當寺現住恵勝法印 施主…」かな?(安永5年=1776年だろうか?)
22番大師堂
記念碑
これに拠れば、本堂は昭和57年(1982年)に落慶。
本堂
それでは、次へ参ります。境内を出て右へ、次の突き当たり丁字路、この写真の右から来て奥へと右折、そのまま愛宕神社前を通過して道なりで宮野木町交差点まで戻って左折、県道72号を南東に進みます。
次回は、園生町の金蔵院(23番)&園生神社拝殿
次回は、園生町の金蔵院と園生神社拝殿に参ります。