(令和6年2月26日その1)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、本日は、千葉市花見川区犢橋町(こてはしちょう)の長福寺(19番&20番&21番)から始めます。
本日の出発点は、前回の最後の札所、長沼町の駒形観音(18番)前からです。長沼観音前にある説明板、そこの絵図に描かれた犢橋村、ちょうど青い矢印の所の、南側( 絵図の上方 )に長福寺があります。境内を出て右、御成街道( 千葉県道66号浜野四街道長沼線から同69号長沼船橋線へ )を西北西に出発です。真っ直ぐ進んで、東関東自動車道を越えて、すぐの交差点、この写真奥から来て写真右に、左折します。宮野木料金所西側に沿って曲がった後、この丁字路で右折、谷津田の反対側、二連続丁字路は左、左へ。( 左、右の方が近いけれども。) そのまま道なりに進むと、突き当たり丁字路手前で、右手に長福寺の建物が見えてきます。丁字路右折後、左手に長福寺です。
犢橋町の長福寺
真言宗豊山派、長福寺、千葉市花見川区犢橋町407番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講八十八ヶ所19番。(神明寺)
千葉寺十善講八十八ヶ所20番。(長福寺)
千葉寺十善講八十八ヶ所21番。(勢至堂)
道路の南東側に駐車場、北西が境内、境内入って直ぐに本堂、本堂右前に修行大師像、境内入口右の道路側には沿革の碑に子安堂など、境内左に大師堂、本堂の左には宝篋印塔に内卵塔記念碑などがあります。山号は弘法山。
本堂
扁額は「長福寺」。
修行大師像
境内右側
沿革の碑
タイトルは「真言宗豊山派長福寺 沿革」。これに拠れば、院号は清光院、本堂は正面に阿弥陀如来、不動明王、薬師如来を安置、創建は450年程前( 平成17年の450年前は1555年 )、明治初期から昭和初期まで犢橋小学校が在った。
子安堂
子安堂前石仏
写真右の石仏は、中央「奉造立」、左「爲現當二世安禾也」、右「寛政四壬子 十月十九日」で十九夜塔、左の石仏は「安永三〓 十月十九日」でこれも十九夜塔です。(寛政4年=1792年、安永3年=1774年)
境内左側
大師堂
この御詠歌額には、「第十九番神照寺」(神明寺ではない)、「第二十番長福寺」、「第二十一番勢至堂」とある。堂内右の台座には「新四國十九番」。中央の台座「準四國廿番」。
境内左奥
宝篋印塔
塔身の文章末尾は「元文元丙辰年霜月二十一日 下総國千葉郡犢橋村 弘法山清光院 長福寺 惠教敬白」。(元文元年=1736年)
内卵塔記念碑
これに拠れば、内卵塔は卵型の墓石のことで、この辺りの旧家に多く、長福寺無住時代に荒れたものを( この碑背後の高いところに? )整理した。また、犢橋地区は、本郷、新田、広尾、米之内の4集落からなる。
本郷は長福寺のある辺り、新田は本郷の北で御成街道沿い、広尾は新田の西で同じく御成街道沿い、米之内は広尾南の低地沿いになります。
本堂裏のサザンカ
次回は、犢橋町広米の大師堂(番外)
次回は、犢橋町米之内にある広米の大師堂に参り、その後は宮野木町の地蔵院(22番)目指して移動します。
長福寺を出て右(南西)に、谷津田の反対側まで進みます。