印西大師・印西地区の大師堂巡拝 下曽根の市杵嶋神社&再訪・小林新田の観音堂

(令和5年5月9日その2)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、鹿黒の八幡神社&再訪・鹿黒の西光寺(4番)&再訪・六軒の厳島神社(38番)&再訪・木下の上町観音堂(30番)の次は、小林新田の観音堂に再訪した後、下曽根の市杵嶋神社にある下曽根大師に参ります。
途中経路は省略して、小林新田(小林)の観音堂に再びやって参りました。

小林新田(小林)の観音堂(再訪)

こちらの大師堂の左右にある石塔について確認です。

石塔

まず、大師堂の右、三叉路側の石塔、

小林新田観音堂二十三夜塔
小林新田観音堂二十三夜塔
正面「二十三夜供養塔」、右面「文久元酉年九月建之」とあります。(文久元年=1861年)
大師堂の左奥、国道側の石塔石碑、
小林新田観音堂庚申塔
小林新田観音堂庚申塔
右の石塔は正面「庚申塔」、左の石碑も庚申塔で、その右に「弘化四年丁未正月」とあります。(弘化4年=1847年)
また、途中経路省略で、押付の薬師堂(83番)に到達しました。
押付薬師堂から南方を望む
押付薬師堂から南方を望む
この先は、薬師堂から南に進み、いつもの大師堂廻りになります。薬師堂から十字路に出て、本日は犬がいないので右折、突き当たりの三叉路は左折して堤防上の道を進みます。道なりにきて、こちらの三叉路、
笠神船戸の南の三叉路
笠神船戸の南の三叉路
ここを左折します。船戸の集落が途切れると、田圃の中の堤防上の道になります。
笠神船戸から下曽根への道
笠神船戸から下曽根への道
三叉路から約0.35km、下曽根の集落が終る辺りで、左手に集会所の隣の木々の中に市杵嶋神社の社殿があります。
下曽根の市杵嶋神社前
下曽根の市杵嶋神社前
左に堤防を降りて、神社の入口に回り込みます。

下曽根の市杵嶋神社

市杵嶋神社、印西市下曽根7番地。(千葉県の宗教法人名簿より)

下曽根の市杵嶋神社
下曽根の市杵嶋神社
鳥居の右に下曽根集会所、鳥居の左に大師堂、鳥居から参道真っ直ぐに社殿の小さな神社です。社殿の右に石塔石仏、大師堂の左に印西大師関連の供養塔があります。

下曽根集会所

下曽根集会所看板
下曽根集会所看板

神額

下曽根の市杵嶋神社神額
下曽根の市杵嶋神社神額
あれ、宗教法人名簿上は「嶋」なのに、神額は「島」ですね。

社殿

下曽根の市杵嶋神社社殿
下曽根の市杵嶋神社社殿

石塔石仏

下曽根の市杵嶋神社石塔石仏
下曽根の市杵嶋神社石塔石仏

下曽根大師

下曽根大師
下曽根大師
下曽根大師扁額
下曽根大師扁額
扁額には、中央に大きく「大師」、その右に「下曽根」とあります。
下曽根大師像台座
下曽根大師像台座
台座には「嘉永五子年 正月 下曽根新田 行徳新田 中根新田」とあります。(嘉永5年=1852年) 印西大師の明治初期の史料には、下曽根新田の、大にちとう(大日堂)が掛所として記されています。この下曽根大師の台座の年からして、当時の掛所の系譜にあると思われます。ただ、(次回に参る)大日堂というのが隣の行徳(新田)にあって、そこに大師像が複数祀られているのも事実でして、明治初期の下曽根の掛所が行徳に移転した後に、今の下曽根大師ができた可能性もありえます。

弘法大師供養塔

下曽根大師の弘法大師供養塔左面下曽根大師の弘法大師供養塔正面右面
下曽根大師の弘法大師供養塔
供養塔の正面「南無大師遍照金剛」、台座「小廻組合」、右面「昭和十五年三月二十一日」、左面「先達 笠神 南陽〓 砂田 西福寺 〓原 龍泉院」とあります。(昭和15年=1940年)

次回は、行徳の稲荷神社&大日堂

次回は、行徳の稲荷神社と大日堂に参ります。先ほどの下曽根大師の写真、大師堂の右の屋根の陰に赤い鳥居の柱が写っていますが、それが行徳の稲荷神社の鳥居です。もとの堤防上の道路に戻って左(南)に進みます。