印西大師・印西地区の大師堂巡拝 萩原の観音堂(78番)など

(令和5年5月12日その3)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、萩原の慶昌寺(57番)&萩原の竜泉院(2番)の次は、萩原の観音堂(78番)などに参ります。
竜泉院、萩原地区構造改善センター前の広場に居ます。
竜泉院といえば、印西大師の小廻組合が(、と書いてないのもあるが、)建てた弘法大師供養塔に、笠神の南陽院(44番)砂田(小林)の西福寺(48番)と並んで、先達として刻まれてきました。それが廃寺(同然)となっているとは。
さて、次の観音堂ですが、これは竜泉院から直線で東南東約0.1kmの丘の上にあり、この広場の南東角から東側の未舗装道、

萩原竜泉院南東の道
萩原竜泉院南東の道
ここから藪の中を上って行ければ、すぐに着きそうです。しかし、古い地図にはそういう道も記載されていますが、近年そして最新の地理院地図では、道が途中で途切れています。行けるかどうか保証はないので、これは不採用とします。
それで、反対側の道路に出て右(北)に進みます。右手の丘に沿うように右へカーブしながら進み、約0.35kmの三叉路、
萩原城ノ内の三叉路
萩原城ノ内の三叉路
ここを右折して坂を上ります。約0.17kmの三叉路、
萩原観音堂前
萩原観音堂前
その右手に観音堂が現れます。

萩原の観音堂

千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
印西大師78番。

萩原観音堂入口
萩原観音堂入口
階段の先にお堂があって、お堂の左奥に78番大師堂と、印西大師関連の弘法大師供養塔、さらに左後方に石塔石仏群があります。

観音堂

萩原観音堂
萩原観音堂
実をいうと、本当に観音堂なのかは確証ありません。狐がいたら稲荷神あるいは荼枳尼天ですが、狸の場合は?
それから、地面の上、どんぐりが落ちているように見えるのは、どうやらカタツムリの類いらしく(、それ以上は未確認)。

手水鉢

萩原観音堂手水鉢
萩原観音堂手水鉢
手水鉢には「文政二卯十月吉日」とあるように見えます。(文政2年=1819年)

78番大師堂

78番大師堂
78番大師堂
印西大師78番番号札
印西大師78番番号札
78番御詠歌額
78番御詠歌額
78番堂内御詠歌額
78番堂内御詠歌額

弘法大師供養塔

萩原観音堂弘法大師供養塔正面左面
萩原観音堂弘法大師供養塔正面左面
供養塔の正面「南無大師遍照金剛」、台座正面「先達 笠神 南陽院 砂田 西福寺 萩原 龍泉院」、左面「昭和十八年七月二十一日 小廻組建之」とあります。(昭和18年=1943年)
萩原観音堂弘法大師供養塔台座
萩原観音堂弘法大師供養塔台座
こちらの台座も、危なっかしい。

石塔石仏群

萩原観音堂石塔石仏群
萩原観音堂石塔石仏群

観音堂全景

萩原観音堂全景
萩原観音堂全景
観音堂の左側面を見るように、南側に回りました。この写真の背後方向を道なりで進むと、萩原の鳥見神社横を通って、北総線印旛日本医大駅に至ります。竜泉院は写真の左方向になります。
それでは、次に参ります。観音堂の階段を下りてそのまま東南東に直進します。少し上ると、右手に墓地が見えます。
萩原観音堂東の墓地
萩原観音堂東の墓地
この墓地に、八坂神社と大師堂があるのです。

萩原観音堂東の八坂神社

千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。

萩原観音堂東の八坂神社
萩原観音堂東の八坂神社
鳥居、参道、社殿です。社殿の右後方に大師堂があります。また、参道左に、小さな石仏があります。
萩原観音堂東の八坂神社社殿神額
萩原観音堂東の八坂神社社殿神額
鳥居の神額は「八坂神社」でしたが、社殿のは「八坂大神」とあります。

小石仏

萩原観音堂東の八坂神社小石仏
萩原観音堂東の八坂神社小石仏
この石仏には右「花見堂」、左「申三月三日」とあります。花見堂地蔵というのだそうです。この造形、風化剥離の影響もあるのでしょうが、一つ目小僧にも見えます。

大師堂

萩原観音堂東の八坂神社大師堂
萩原観音堂東の八坂神社大師堂
印西大師の明治初期の史料には、萩原観音堂の近くに、ねこやしき(猫屋敷)という掛所があったそうで、ここの大師堂と関連があるかもしれません。

次回は、大竹(吉高)の大師堂(68番)など

次回は、大竹(吉高)の大師堂(68番)などに参ります。墓地の北側、観音堂から東南東に延びる道を、右(東南東)に進みます。