印西大師・印西地区の大師堂巡拝 砂田(小林)の西福寺(48番)など

(令和5年4月27日その3)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、物木の竜湖寺(47番)の次は、砂田(小林)の西福寺(48番)などに参ります。
物木から、小林の田圃の中に出たところです。

竜湖寺から西福寺への道その4(再掲)
竜湖寺から西福寺への道その4(再掲)
この時の、進路の先に見える墓地に寄ってみます。

砂田の虚空蔵堂跡

この地点、明治前期の迅速測図には「虚空堂」と書かれています。とすれば、印西大師の明治初期の史料にある砂田の、こくうぞうとう(虚空蔵堂)(77番)の跡地かもしれません。因みに、現在の77番は、師戸の広福寺(33番&77番)にあります。
ですが、実際によってみると、虚空蔵堂跡を明確に示すものは見当たりませんでした。

砂田虚空蔵堂跡
砂田虚空蔵堂跡
この写真右の砂田耕地整理記念碑により、ここら辺が、小林の小字砂田であることは確認できます。写真左の古い石仏には「奉造立石佛十九夜念佛供養」とあります。
この墓地の前の三叉路は、物木からの進行で右(東)に、直ぐの三叉路は左で、千葉県道291号新道の下を潜ります。直ぐの十字路、
竜湖寺から西福寺への道その5
竜湖寺から西福寺への道その5
ここも左折です。坂を上っての三叉路、
竜湖寺から西福寺への道その6
竜湖寺から西福寺への道その6
ここは右折で、その先で、墓地の気配がしたら、左手に西福寺です。
竜湖寺から西福寺への道その7
竜湖寺から西福寺への道その7
道路の左側、このお宅を挟んで、右奥に石柱門参道と墓地、左に自動車参道、左上方に本堂が見えます。

砂田(小林)の西福寺

天台宗、西福寺、印西市小林1615番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師48番。

砂田西福寺石柱門
砂田西福寺石柱門
山号は天林山。石柱門から参道が平坦に伸びて、まず左に古い石塔石仏、それから上り階段があって、その先真直ぐに本堂、階段上の右に大師堂、階段上の左に木造不動明王立像及び毘沙門天立像の説明板があります。

階段下の石塔石仏

砂田西福寺階段下の石塔石仏
砂田西福寺階段下の石塔石仏
この中の左から2つめの石塔は六十六部供養塔です。

六十六部供養塔

砂田西福寺六十六部供養塔正面砂田西福寺六十六部供養塔正面右面
砂田西福寺六十六部供養塔
供養塔の正面中央の文字列は判読が難しいですが、「奉献大〓妙典六十〓部供養」と読めます。その右下は「羽茂郡」?(羽茂郡は佐渡国)。右面は「文政十年亥歳四月吉日」です。(文政10年=1827年)

参道階段

砂田西福寺参道階段
砂田西福寺参道階段

本堂

砂田西福寺本堂
砂田西福寺本堂
砂田西福寺本堂扁額
砂田西福寺本堂扁額

48番大師堂

48番大師堂
48番大師堂
印西大師48番番号札
印西大師48番番号札
本家四国八十八ヶ所の48番は西林寺で、天「林」山「西」福寺と名前が似ています。
大師堂の右に、間に石塔1基挟んで、弘法大師供養塔があります。

弘法大師供養塔

砂田西福寺弘法大師供養塔正面砂田西福寺弘法大師供養塔右面
砂田西福寺弘法大師供養塔
供養塔の正面中央「〓〓大〓遍照金〓」、その右に「八十八ヶ所」、その左は、あれ、「二十二番」?、とても「八」には読めない。右面は「文化十二亥年」です。(文化10年=1815年)

木造不動明王立像及び毘沙門天立像説明板

木造不動明王立像及び毘沙門天立像説明板
木造不動明王立像及び毘沙門天立像説明板
千葉県の指定文化財です。
www.pref.chiba.lg.jp
あと、訂正シールの貼り方からして、平成25年(2013年)3月1日付で印西市指定文化財から県指定文化財へと格上げになったように見えます。

階段上境内

砂田西福寺階段上境内
砂田西福寺階段上境内
それでは次に参ります。西福寺の参道から道路に出て左(北)に進みます。すぐの三叉路のところ、左手に庚申塔が並んでいます。
砂田猿田彦大神前
砂田猿田彦大神前
ここには庚申待と関係のある猿田彦が祀られています。

砂田の猿田彦大神

千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。

砂田猿田彦大神
砂田猿田彦大神
境内中央に社殿、道路際に百庚申、境内の東側に石塔があります。なお、鳥居や大師堂はありません。

社殿

砂田猿田彦大神社殿
砂田猿田彦大神社殿
砂田猿田彦大神神額
砂田猿田彦大神神額
この神額は、西福寺檀家一同が奉納したもので、とすれば、ここは西福寺の境外堂の扱いなのかもしれません。

境内の石塔

砂田猿田彦大神境内石塔
砂田猿田彦大神境内石塔
中央の石塔、背の高い塔の中では右の塔には「文化六巳年 八月吉日」とあるようです。

次回は、小林新田(本埜小林)の東福寺

次回は、小林新田(本埜小林)の東福寺に参ります。境内から道路に出てそのまま北東方向に進みます。