(令和5年8月16日その4)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、十余一の大師堂(白井大師24番)&香取神社の次は、高西(こうさい)新田の石尊阿夫利神社に参ります。
千葉県道59号木下街道沿いにある阿夫利神社の鳥居前に来ています。鳥居の右から、鳥居の向こう側の鮮魚街道を進んで約0.8kmで、右手に神社入口となります。
高西新田の石尊阿夫利神社
阿夫利神社、印西市高西新田227番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
こちら南側入口からですと、坂を下ってから階段を上って鳥居、鳥居の先参道真っ直ぐに拝殿、階段下の右に水神様の池、階段下左に不動堂と元大師堂?、拝殿の右に摂末社稲荷神社、拝殿の左は神楽殿が拝殿を向いていて、神楽殿の左に「阿夫利神社の由来」説明板、神楽殿の後ろは少し高くなっていて、鳥居のある登り口は説明板の左、そこから階段を上った先に奥宮、登り口の左へ進むと、右手に石碑が並び、駐車場があって、その先は平坦に鮮魚街道へ抜けます。
南側参道
左にあるのが不動堂です。
不動堂
不動堂の左に、いかにも大師堂というお堂がありますが。
元大師堂?
お堂の中には石が納められていて、大師像などはありません。ただし、お堂の左に弘法大師供養塔があります。
弘法大師供養塔
供養塔の正面「南無大師遍照金剛供養塔」、左面「天下泰平帝道〓昌風雨順時五穀豊饒」(〓は避に見えるが遙なら文意が通る)、台座正面「明治二十有七年四月〓日建」、台座正面「浦邉白幡」とあります。(明治27年=1894年) 因に、高西新田は、浦辺(浦部)村と白幡村によって新田開発されました。
水神様の池
参道階段下から右に別れて、すぐに左に、入口があります。祠の後ろから登っていくと、参道階段の最初の踊り場に出ます。
参道階段上鳥居
拝殿
拝殿裏の突出部、普通はここが本殿です。
稲荷神社
どこの神社でも、摂末社のうち稲荷様だけは立派です。
神楽殿
阿夫利神社の由来説明板
これに拠れば、ご祭神は、石凝留命、石裂命、日本武尊、根裂命の4柱。明和元年(1764年)、銚子沖で青石2個が採取され、これが世直し石尊として崇敬の対象になり、近隣を巡回した後、浦部村の鳥見社に留まって、明和2年6月27日に、高西新田鎮守両社境内の凸地の頂に奉納した。
ということは、石尊(阿夫利神)社の成立以前に、ここに高西新田鎮守両社( おそらくは浦部の鳥見社と白幡の八幡社の合同社 )があったことになります。
その凸地の頂の祠(奥宮)へ参ります。
奥宮
石碑群
この記念碑の左後ろに、神額があります。この碑は、上部に「阿夫利神社」とありますが、碑文内容はほぼ手賀沼干拓事業のものです。昭和26年8月27日(1951年)に阿夫利神社で額き湯立の式(決起集会?)を行い、昭和30年1月10日着工、翌31年5月31日通水、昭和30年が豊作だったので、阿夫利神社に一の鳥居を奉納した、等々。
境内西側
帰宅
今日はここまでとします。本日は、白井大師の札所2ヶ所などに参りました。