(令和5年8月16日その3)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、神々廻の駒形神社に寄り道の次は、十余一(とよいち)の香取神社や大師堂(白井大師24番)に参ります。
既に、千葉県道59号木下街道沿い、十余一の香取神社前に来ています。この香取神社の裏手に、十余一の大師堂(白井大師24番)があるのです。
十余一の香取神社
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
県道の北側に盛り土のような塚があって、県道側から鳥居、階段、拝殿、拝殿の左前に山崎治右衛門之碑があります。神社の左側に十余一地区消防センターの倉庫、神社の右奥の方(塚の下)に大師堂、子安堂、そして集会所らしき建物があります。
拝殿
手水鉢
手水鉢の側にある石塔には、「十余一香」、「大正五…」などとあります。(大正5年=1916年)
山崎治右衛門之碑
本殿
本殿の右下に神額が立て掛けてありました。
神社東側
写真左の大きいお堂が大師堂です。
十余一の19番大師堂
印西大師19番?
白井大師24番。(阿弥陀堂)
いちおう、神社の外になるのでしょうか。扁額には、マジックインキのようなもので、「印西大師第十九番 十余一」とあります。
堂内には、大師像2体に御詠歌額が納められています。この御詠歌額もマジックインキでしょうか。右の大師像の台座には、「第七十番」とあります。左の大師像の台座には、「印西大師十九番」とあります。
なお、一般的に、印西大師19番は印西市吉高の西の堂(19番)とされています。
時々引用している印西大師の明治初期の史料ですが、その史料は明治4年(1871年)春のものでして、一方、印西牧の十余一地区が立村したのが明治5年、入植は先行していましたが、印西大師の掛所を設ける余裕など無かったでしょう、かの史料には記載がありません。
十余一地区消防センター倉庫
それでは、次は、高西新田の石尊阿夫利神社に参ります。阿夫利神社は真北にありますが、北に抜ける道がないので、香取神社前の県道を左(東)に進みます。
県道が左にカーブするところの信号交差点、往時はもっと直角に折れていたのですが、その昔の角の南側のところに、白井市指定有形文化財の一億供養塔があります。香取神社から約0.6km弱になります。
十余一の一億供養塔
これに拠れば、所在地は白井市十余一 字一本桜49番地2、印西牧の中にあった。前述したように、白井市指定有形文化財です。
www.city.shiroi.chiba.jp
供養塔の正面の中央「南無阿弥陀佛」、その左右「天下泰平 日月清明」、背面の中央「一億供養塔」、その左右「寛政十一己未年 四月十有五日」、右面と左面は、先の説明板に拠れば各々「大もりむらみち」、「ふさむらみち」とあります。(寛政11年=1799年)
さて、再び県道59号を北北東に進みますと、約0.23km程で、左手に阿夫利神社の鳥居が現れます。ここから阿夫利神社の拝殿まで約1km、参道入口まで約0.8kmあります。
次回は、高西新田の石尊阿夫利神社
次回は、高西新田の石尊阿夫利神社に参ります。