(令和5年8月18日その1)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、本日も朝だけ巡拝です。最初の目標は、白幡の吉祥院(63番)です。
今日も、千葉県道59号木下街道沿いにある石尊阿夫利神社の鳥居前に来ていて、ここから県道を北北東に進みます。約0.65kmの地点、横断歩道の先の二股三叉路、写真の中央のガードレールの奥側から、斜め左の古道に入ります。それから約0.28kmの三叉路、向こう側右に印西市消防団第7分団第12部の倉庫、その左の百日紅の下に庚申塔群があります。
印西市消防団第7分団第12部横庚申塔群
この写真の右端の庚申塔は、中央「庚申塔」、その左右「嘉永四亥年 十一月吉」、その左隣の庚申塔は、正面「青面金剛王」、右面「天保十二丑年十一月吉日」とあります。(嘉永4年=1851年、天保12年=1841年)この写真の左端の庚申塔は、左「享保九〓辰天十一月吉日」、中央の庚申塔は、正面「庚申塔」、左面「下總國印旛郡〓〓〓」(〓〓〓は草で隠れているが白幡村だろう)、右面「天明二壬寅十一月吉」、その右隣の庚申塔は、正面「青面金剛」、左面「文化十癸酉年」とあります。(享保9年=1724年、天明2年=1782年、文化10年=1813年)
さて、この先ですが、庚申塔群前三叉路は左に、続く三叉路、右の民家の奥を右に曲がります。その先、細い道が左に折れた後の突き当たり三叉路、ここを右折して、直ぐのところ、庚申塔群からは約0.23kmの地点、左の短くて緩いスロープに入ります。その先で、右手に見える建物が吉祥院です。
白幡の吉祥院
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
大きな建物に白幡山吉祥院の看板が掛かり、その右に大師堂があります。あとは墓地ですね。
白幡山吉祥院の看板
建物自体は、千葉県コミュニティ施設整備事業の補助を受けているので、集会所であって宗教法人の持ち物では無いでしょう。
63番大師堂
台座の正面右側には「天保元年 寅十月日」とあります。
印西大師の明治初期の史料には、白幡の、きちしやう寺(吉祥寺)として登場します。
大師関連石塔
大師堂の右、手水鉢のすぐ後ろに、大師に関連する石塔があります。手水鉢の側を正面とすると、この塔の正面に「國」、右面「南無大師遍」、左面「文化十一甲戌」とあります。印西大師の旧の標識塔でしょうか。
それでは、次へ参ります。先程の短くて緩いスロープまで戻って、突き当たりの道を左(北)に進みます。スロープ出口から約0.35kmの突き当たり三叉路、ここは左折、道なりに約0.19km進むと、急坂が現れます。
次回は、浦部の鳥見神社
次回は、浦部の鳥見神社に寄り道します。