2023年遍路の記事も書き終わり、千葉寺十善講八十八ヶ所の記事を再開します。が、4ヶ月以上前の事を書くので、上手く書けますかどうか。
(令和5年10月7日その1)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、本日は、千葉市若葉区東寺山町の14番大師堂旧地から始め、鹿島神社にも立ち寄ります。
本日の出発点は、前日の最後の札所、廿五里(源町)の地蔵堂(13番)前からです。この写真の右側、ゴミ集積所と小屋の向こう側が廿五里地蔵堂兼廿五里集会所です。写真奥の方(西北西)に進み、すぐの丁字路を左折(南西行)します。
そのまま道なりで、千葉都市モノレールの下の信号十字路も直進、右カーブ、左カーブの後で、右手に鹿島神社の本殿が見えました。今はそのまま道を進み、すぐの信号十字路を渡って反転します。写真の奥に見える緑が、鹿島神社の杜になります。
この交差点を写真の右(東)に曲がりますと、その辺りが、東寺山町14番大師堂の旧地になります。
東寺山町14番大師堂旧地
千葉市若葉区東寺山町315番地。
千葉寺十善講八十八ヶ所14番旧地。(円蔵院)この写真右端のシャッターのある建物の住所が、Yahoo!マップに拠れば、東寺山町315-7なのです。
因に、写真の奥へ進むと、坂を下って上った先に、原町の正福寺(12番)があります。
東寺山町315番地が14番大師堂の旧地である根拠は、現在の8番&14番大師堂所在地にあった史碑です。( 因に、すぐ次で右折すると、その大師堂や史碑の所在地に至ります。)しかし、この辺りには、昔の大師堂や集会所の痕跡は見当たりません。
反転して西へ進み、先ほどの信号十字路を直進します。すぐの丁字路で右を向くと、右折道路の右が、鹿島神社の参道です。
東寺山町の鹿島神社
鹿島神社、千葉市若葉区東寺山町288番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
参道入ってすぐに鳥居、その先参道を進むと、右隣の建物敷地が終わった所から本格的な境内で、境内社などが点在。参道の奥に拝殿、本殿右の境内北東角に東寺山貝塚の碑があります。なお、大師堂は見当たりません。
鳥居
境内南側
この辺りから境内の幅が広くなります。
境内社その1
先ず、参道右手に祠と日枝神社石塔。後述の神社移転合祀記念碑に拠れば、三王神社すなわち日枝神社は、東寺山区335番にあったが、明治44年(1911年)に合祀された。続いて、屋根付きの大六天神社石塔、その右前には摩利支天石塔他に1基。左には庚申塔。
庚申塔
左面「施主 東寺山村 〓〓村 村中」、右面「元文五庚申天十月吉日」。(元文5年=1740年)
浅間神社
後述の神社移転合祀記念碑に拠れば、この浅間神社、及び、前述の大六天神社と摩利支天は、東寺山区555番にあったが、明治44年に合祀された。この浅間神社の旧地に、東寺山町8番大師堂(浅間不動堂)が在ったと推定されます。東寺山町555番地は、今の出雲大社千葉総国講社の近くでしょう。
参道御神灯
神社移転合祀記念碑
タイトルは「神社移轉合祀記念碑」。
無格社駒形神社は元東寺山区四〇一番に老婆神社は仝五番に鷲宮神社は仝四〇四番に駒形神社は五四八番に浅間神社山神摩利支天神社大六天神社は仝五五五番に天神社は四六八番に三王神社は三三五番に鎮座せし處神社を合祀し敬神の念を厚くする爲め其筋の許可を得て前記四社は明治丗七年鹿島神社境内に移轉し浅間神社摩利支天神社大六天神社三王神社天神社は明治四四年鹿島神社に合祀したり依て合祀移轉記念の爲め此の碑を建つ
昭和六年九月吉日 鹿島神社
(原文は漢字カタカナ書き。カタカナを平仮名に変換。昭和6年=1931年)
境内社その2
写真の右に祠、中央手前に老婆神、左に石祠。老婆神社は、東寺山区5番にあったが、明治37年に合祀。
拝殿
神額は「鹿嶋神社」。
本殿
東寺山貝塚の碑
東寺山貝塚は、千葉県指定の史跡です。
www.pref.chiba.lg.jp
境内社その3
今度は参道戻りの右手に石祠2基。左の鷲宮神社は、東寺山区404番にあったが、明治37年に合祀。
末社修復記念碑
タイトルは「記念碑」、サブタイトルは「東寺山町鎮座鹿島神社末社修復記念」、修復対象は、天満宮、鷲宮神社、老婆神、浅間神社、日枝神社、駒形神社。
それでは、参道を戻ります。
次回は、殿台町の万蔵院(15番)&正八幡大神
次回は、殿台町の万蔵院に参り、その後で正八幡大神にも寄り道します。
参道を戻り、道路に出て右(西)に進みます。
更新履歴
2024年03月10日18時30分、初版公開
2024年03月10日18時35分頃、URL変更。本文は変更なし。