千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝 穴川の大師堂(番外)、序に穴川神社

(令和5年9月9日その1)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝ですが、本日は、千葉市稲毛区穴川(あながわ)の大師堂(番外)から始め、穴川神社にも寄り道します。
本日の出発点は、先日の最後の札所である、轟町の大日寺(3番)です。

轟町大日寺駐車場前
轟町大日寺駐車場前
大日寺の山門を出て右(西)に駐車場入口があり、その前を通過して、突き当たりの信号三叉路を右折、千葉大学を左に見て進み、右に敬愛大学のある敬愛学園前交差点、
稲毛区敬愛学園前交差点
稲毛区敬愛学園前交差点
写真の右奥から来て左奥へ、右折します。ここから約0.35km、稲毛区の保健福祉センターの南西側三叉路、
稲毛区保健福祉センター南西側三叉路
稲毛区保健福祉センター南西側三叉路
ここを左折、すると右に穴川中央公園がありますので、
稲毛区穴川中央公園南側
稲毛区穴川中央公園南側
さっと公園に入って、公園の南側、保健福祉センターや稲毛区役所の裏側を通ります。すると、穴川町会集会所の裏にぶつかります。
穴川町会集会所裏
穴川町会集会所裏
左右の建物の間から大師堂が見えていますので、左側から回り込みます。
穴川町会集会所大師堂裏
穴川町会集会所大師堂裏
大師堂の裏を通り過ぎて、反対側から参拝です。

穴川町会集会所の大師堂

千葉寺十善講八十八ヶ所番外。
穴川町会集会所の敷地の中程北側に大師堂があります。

穴川町会集会所正面
穴川町会集会所正面

大師堂

穴川町会集会所大師堂
穴川町会集会所大師堂
穴川町会集会所大師堂御詠歌額
穴川町会集会所大師堂御詠歌額
穴川町会集会所大師像台座
穴川町会集会所大師像台座
台座には「當村中」とだけあります。

弘法大師壹千百年御遠忌記念碑

大師堂の右に、弘法大師壹千百年御遠忌記念碑があります。

弘法大師壹千百年御遠忌記念碑正面弘法大師壹千百年御遠忌記念碑背面
弘法大師壹千百年御遠忌記念碑
記念碑の正面の中央「弘法大師壹千百年御遠忌記念碑」、その左「當区老人一同」、背面上部「昭和九年三月吉日建之」とあります。(昭和9年=1934年)
それでは、次へ参ります。がしかし、集会所敷地から出てすぐの信号十字路、
穴川町会集会所・穴川神社の信号十字路
穴川町会集会所・穴川神社の信号十字路
対角に神社がありますので、寄り道します。なお、この十字路、写真の左(北東)から来て奥(南東)へ抜けるのが国道126号旧道、左手前(北西)方向は千葉県道72号旧道、左手前(北西)から奥(南東)は房総往還になります。

穴川の穴川神社

穴川神社、千葉市稲毛区穴川3丁目356番1。(千葉県の宗教法人名簿より)(地番と住居表示がごちゃ混ぜ?)
房総往還に面した側に鳥居、鳥居の右に社号標、境内奥に社殿、左に摂末社群です。なお、大師堂は見当たりません。

穴川神社
穴川神社

社号標

穴川神社社号標正面穴川神社社号標背面
穴川神社社号標
社号標の背面に碑文あり。これに拠れば、穴川神社は、石尊神社( ご祭神は堀田相模守正睦 )と道祖神社( 八衢彦命 )の2社からなる。石尊神社は、元は穴川町71番地にあって、文政9年にこの地の開墾を許可した領主を祀ったもの。道祖神社は現在地に天明4年勘請。昭和17年、軍の要請により石尊神社を現在地に遷し、同18年、社名を穴川神社とした。(文政9年=1826年、天明4年=1784年、[堀田正睦 - Wikipedia])

境内

穴川神社境内
穴川神社境内
参道の敷石は、社殿の右と左に別れ、社殿中央部には延びていません。

社殿

社殿の右が石尊神社、左が道祖神社です。間の社殿中央部に扁額類はありません。

穴川神社社殿右石尊神社神額
穴川神社社殿右石尊神社神額
穴川神社社殿左道祖神社神額
穴川神社社殿左道祖神社神額
穴川神社社殿中央部
穴川神社社殿中央部

摂末社群

穴川神社摂末社群
穴川神社摂末社群

子安地蔵堂

摂末社の末座に、「子安地蔵尊」のお堂がありました。

穴川神社子安地蔵堂
穴川神社子安地蔵堂

次回は、作草部の大師堂(番外)&作草部神社

次回は、作草部の大師堂(番外)に参った後、作草部神社に寄り道します。穴川神社の鳥居を出て左に、国道126号・房総往還を南東へ進みます。