(令和5年9月2日その5)
千葉寺十善講八十八ヶ所巡拝、千葉公園の大師堂(番外)&轟町の来迎寺(番外)の次は、轟町の大日寺(3番)に参ります。
大日寺は来迎寺の、道路を挟んだ北隣になり、来迎寺境内からも大日寺の建物が見えます。来迎寺本堂・大師堂から東に参道を戻り、門を出て左へ、すぐの信号十字路、左折して右に大日寺の山門となります。
轟町の大日寺
真言宗豊山派、大日寺、千葉市稲毛区轟町2丁目1番27号。(千葉県の宗教法人名簿より)
千葉寺十善講八十八ヶ所3番。
山門入って(北向の)参道左に修行大師像、参道真っ直ぐに本堂、大師像と本堂の間で左に折れると、まず左に境内案内図、少し進んで、左側に薬師堂、右には東(本堂)側に千葉氏累代の墓碑と説明板、西側に大師堂です。
山門
山号は阿毘廬山、院号は密乗院。
修行大師像
境内案内図
これに拠れば、開基は天平宝字元年(757年)に仁生菩薩による、本尊は大日如来。
本堂
本堂前の石仏
本堂の左前に古い石仏が2体あります。うち左の石仏の右には「十九夜」とあります。
薬師堂
扁額に「瑠璃光殿」とありますが、階段は登れないようです。
境内本堂西側
3番大師堂
千葉氏累代の墓碑
説明板
これに拠れば、まず大日寺については、建長6年(1254年)に千葉頼胤[千葉頼胤 - Wikipedia]が源氏3代の供養のため馬橋に建立、弘安7年(1284年)に千葉胤宗[千葉胤宗 - Wikipedia]が千葉氏の菩提寺として千葉に移転、昭和20年の戦災で全山焼失し、千葉神社南から現在地に移転。
16基ある五輪塔は、千葉常兼[平常兼 - Wikipedia]から千葉胤将[千葉胤将 - Wikipedia]までの16代のものと伝えられる、千葉市の指定史跡です。
www.city.chiba.jp
建造物の文化財の方がふさわしくないか。史跡って移転可能なのか。
五輪塔群
以下、南側、説明板に近い側から順に。この五輪塔が飛び抜けて大きい。来迎寺の五輪塔と違って、銘文が不明です。なお、胤将の次代の千葉胤宣[千葉胤宣 - Wikipedia]のとき、享徳の乱の影響により、胤宣とその父(胤将の先代で父)の千葉胤直[千葉胤直 - Wikipedia]が敗亡しており、その後の千葉宗家の混乱もあわせると、ここで五輪塔建立が途切れても、おかしくはないかも。
帰宅
ちょっと早いですが、今日はここまでとします。
本日は、番外2ヶ所、6番、番外2ヶ所、3番の順で廻りました。