(令和5年6月29日その10)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、結縁寺(46番)の次は、結縁寺(46番)周辺、特に熊野神社や大日塚に寄り道します。
(.この記事のタイトルは、続・結縁寺から始めてもよかったかもしれません.)
さて、結縁寺の東側、道路の向かいにある石塔石仏群ですが、その南側は、結縁寺青年館の敷地になり、敷地の北西側に石塔石仏群が並んでいます。ただし、これまでの石塔石仏群が道路(西)側を向いていたのに対して、青年館敷地内の石塔石仏群は青年館(南or東)側を向いています。
結縁寺青年館敷地内
石塔石仏群
その多くは十九夜塔や子安塔です。続けて、池の周りを回ります。
結縁寺の池
池の島の祠は水神を祀るそうです。対岸のこんもりとした杜に熊野神社、その手前は、結縁寺青年館と、印西市消防団第5分団第5部の倉庫です。鯉が寄ってきます。
それでは、熊野神社にも参ります。
結縁寺の熊野神社
熊野神社、印西市結縁寺533番地。 (千葉県の宗教法人名簿より)
池から道路を挟んで鳥居、鳥居の先参道真っ直ぐに進んでから、階段を上って本殿、参道平坦部の途中右に入定塚があります。なお、大師堂はありません。
鳥居
入定塚
供養塔(墓石)の中央は梵字に「大比丘尼善智入定 〓主牌」、右「伊勢國住人佐藤庄治娘」、左「関東三十三度巡礼結願依夢告此所寂」とあるようです。オートフォーカス任せですが、微妙にピントが合っていない。
参道階段
本殿
それでは、次へ参ります。参道から鳥居を出て右に、すぐの消防団倉庫の三叉路も右で、石塔石仏群を右に見ながら北へ進みます。坂を上っての右手に、ちょっとだけ高くなってるところがあります。それが大日塚です。寄り道します。
結縁寺大日塚
今現在は塚の様子が道路からでも判りますが、手前の防草シートの敷き方や、杭の打ち方からして、宅地開発が準備されているようです。近い将来、塚自体は残るでしょうが、この道路からは見えなくなりそうです。
接近します。塚の上の石塔石仏群、その正面は説明板の反対側になります。竹が地面に刺してあるのは、祭礼の痕なのでしょう。この中で、大日如来像が彫られた石仏は、上部に梵字5字、左右上部「明和二酉年 十月吉日」、右下「結縁寺村」、その左(南)隣の石塔は、中央は種字に「湯殿山大権現」、その左右上部に「月山 羽黒山」、右面「文化三〓八月吉日」とあります。(明和2年=1765年、文化3年=1806年)
さて、道路に戻って右(北)に進み、突き当たり三叉路ではなくて、その手前の三叉路を左に折れます。(結局は同じです。) 古道っぽい道が、新道に接近して合流する手前、右側(新道の左側)に庚申塔が1基だけ立っています。
印西市高花5丁目南の庚申塔
この庚申塔、左右上部に「安永六丁酉 十一月吉日」とあります。(安永6年=1777年)
さて、その先ですが、そのまま西へ進んで、千葉県道4号に突き当たる信号交差点を左折、次の三叉路、ここを右折します。すぐに多々羅田地区に入ります。
次回は、多々羅田の厳島神社&多々羅田の太子堂(60番)
次回は、多々羅田の厳島神社に寄り道した後、多々羅田の太子堂(60番)に参ります。