印西大師・印西地区の大師堂巡拝 中村(白井市中)の薬師堂(白井大師20番)、白井大師14番の近く

(令和5年8月11日その4)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、折立の来迎寺(白井大師17番)の次は、中村(白井市中(なか))の薬師堂(白井大師20番)に参ります。
折立の林の中の庚申塔・石塔石仏群のある所から北北東に進んで、中村(白井市中)地区の南南西端に至り、さらに進んで、ついには鮮魚街道に出ます。

折立から進んで鮮魚街道に至る
折立から進んで鮮魚街道に至る
ここで右折し、鮮魚街道を東に進むと、左手に庚申塔群と中・共同墓地が現れます。その右奥にある中集会所は薬師堂を兼ねていると思われます。
白井市中集会所前
白井市中集会所前

中村(白井市中)の中集会所

18番大師堂。
白井大師20番。(薬師堂)
西側は中・共同墓地、墓地の鮮魚街道沿いに庚申塔群と中・共同墓地区画整備事業完成記念碑、東側の鮮魚街道沿いに白井市消防団の第三分団中部(なかぶ?)の倉庫、墓地と倉庫の間のスペースは、道路側左手は南に子安堂、その北隣に18番大師堂と修行大師像、スペースの奥に中集会所(兼薬師堂)、中集会所の右奥に鮮魚街道の水切り場跡があります。

庚申塔群

白井市中集会所庚申塔群
白井市中集会所庚申塔群
まず、左(西)端から、
白井市中集会所庚申塔群左1-3番目
白井市中集会所庚申塔群左1-3番目
左端の庚申塔は、正面中央「青面金剛王」、その左右「文化元甲子年 十一月吉日」、右下「中村講中」、その右隣の庚申塔は、正面中央「青面金剛王」、その左右「安永三〓〓天 十一月吉日」、その右隣の庚申塔は、右「奉造立庚申成就之所」、左「享保十一丙午天八月吉日」、右下「中村」とあります。(文化元年=1804年、安永3年=1774年、享保11年=1726年) また、手前の小さな石祠は道祖神です。
白井市中集会所庚申塔群左1-5番目
白井市中集会所庚申塔群左1-5番目
この写真の右から2番目の庚申塔は、正面「庚申塔」(塔は異体字)、右面「天保十年亥十月吉日」、その右隣の庚申塔は、正面「庚申塔」、右面「元治元甲子年九月吉日」とあります。(天保10年=1839年、元治元年=1864年)
白井市中集会所庚申塔群左6番目
白井市中集会所庚申塔群左6番目
こちらの庚申塔は、中央「奉…成就処」、その左右「正徳四〓〓天 十月吉日」、右下「中村道行九人」と読みましたが、風化ゆえの誤読もあるかも。(正徳4年=1714年)
白井市中集会所庚申塔群左1-8番目
白井市中集会所庚申塔群左1-8番目
この写真の右から2番目の庚申塔は、正面中央「青面金剛王」、その左右「文化十癸酉年 十一月吉日」、その右隣の庚申塔は、正面「青面金剛王」(剛は異体字)、右面「天保二卯〓十一月吉日」でしょうか。

中・共同墓地区画整備事業完成記念碑

中・共同墓地区画整備事業完成記念碑
中・共同墓地区画整備事業完成記念碑
中村の村の字に「そん」と仮名を振ってあります。
江戸時代、この辺り(白井市中)は、現在の白井市平塚の一部や白井市河原子も含めて、中村新田と言いました。その中村新田のうち、手賀村と片山村、これは新田開拓の本村の名前だと思いますが、その部分が明治7年(1874年)に中村として独立し、明治22年に他の村々と合併して白井村中となったものです。

18番大師堂

右が18番大師堂
右が18番大師堂
写真右が18番大師堂で、右の柱に「十八番」の札があります。
18番御詠歌額
18番御詠歌額
なかなか読めないのですが、柱にあった「十八番」を意識すると、右から1行目「第十八番」、2行目「阿州恩山寺」、5行目に「山」、6行目末「き」、7行目末「な」、8行目下「月十九日」が見えてきます。

修行大師像

白井市中集会所修行大師像
白井市中集会所修行大師像
白井市中集会所修行大師像プレート
白井市中集会所修行大師像プレート
「中大師講解散記念 弘法大師之像 平成十七年十二月吉日」とあります。(平成17年=2005年) 白井大師組合解散時に、この地区の講組織も解散した、その記念物です。

中集会所看板と賽銭箱

中集会所看板と賽銭箱
中集会所看板と賽銭箱
賽銭箱からして、集会所が薬師堂を兼ねていると推測しました。

鮮魚街道の水切り場跡

まず、鮮魚街道側に標柱があります。

鮮魚街道の水切り場跡標柱
鮮魚街道の水切り場跡標柱
そして、中集会所の右手に進むと、
鮮魚街道の水切り場跡へ
鮮魚街道の水切り場跡へ
鮮魚街道の水切り場跡前
鮮魚街道の水切り場跡前
鮮魚街道の水切り場跡
鮮魚街道の水切り場跡
こんな感じです。

鮮魚街道の水切り場跡説明板

鮮魚街道の水切り場跡説明板
鮮魚街道の水切り場跡説明板
これに拠れば、所在地は白井市 中 字中台327番地。かつて手賀沼まで舟で、平塚、中、富塚経由で松戸へ、松戸から舟で江戸へと銚子の魚を運んだ。ここの湧水池に、輸送中の竹籠の魚を漬けて冷やしては、引き上げて水を切っていた。池の弁天様は寛政5年(1793年)建立。他に薬師堂、弘法大師堂、子安観音堂あり。
それでは、本日はもう戻ります。
集会所敷地を出て鮮魚街道を左(東)に進みます。次の信号十字路である河原子台交差点、
白井市河原子台交差点西
白井市河原子台交差点西
これを右折します。河原子街道を南へ進み、緩い坂を下って、神崎川の低地に出る前の十字路、
白井市河原子の南の十字路
白井市河原子の南の十字路
ここを左折すると、以前に訪れた、河原子の大師堂(白井大師19番)に至ります。なお、右折すると、白井大師14番があるそうですが、正確な場所は把握していません。

白井大師14番

河原子、内神。
内神ということで、こちらも、個人の宅地内にある(あった)ようです。

帰宅

そのまま帰宅です。本日は、白井大師の札所2ヶ所などに参りました。