(令和5年7月2日その5)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、武西の安養寺(51番)の次は、武西の武西観音堂(10番)、武西集会所前の大師堂、武西集会所の大師堂と続けて参ります。
安養寺を出て右(西)に約0.35kmで、右手に武西観音堂です。
武西観音堂
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
印西大師10番。
道路際一段高いところ、一番大きな建物が観音堂、その左前に10番大師堂、さらに左奥に石塔石仏群があります。正式には「武西観世音堂」です。
10番大師堂
台座には「明治十一寅年 十〓月吉日」とあるようです。(明治11年=1878年)
石塔石仏群
この石塔石仏群のうち、前列左端2基について、左端の石塔は、正面「奉納十九夜塔」、その左右面「文化十酉年 十一月吉日」、その右隣の石塔は、正面「二十三夜塔」、その右面「天保九戌十月吉日」とあります。(文化10年=1813年、天保9年=1838年)
その右隣は六十六部供養塔です。その正面は、中央「奉納大乘妙典六十六部日本回國供養塔」、その左右上部「天下和順 日月清明」、左右中部「明和元甲申年 十一月吉日」、左下「願主恩田長兵衛」、左面「西三十三ヶ國 江戸中橋吉〓権右衛門」、右面「東三十三ヶ國 江戸尾張甼村田屋嘉兵衛」とあって、66ヶ国の巡礼を、江戸の2人に東西33ヶ国に分割のうえで、道案内の同行では無くて、納経代行してもらったようです。(明和元年=1764年)
その右隣の庚申塔は、正面「青面金剛尊」、左面「むさいむら」、右面「于時享和三龍集癸亥十一月吉日」とあります。(享和3年=1803年)
後列から十九夜念仏供養塔です。それでは、次ですが、まず、観音堂から南西方向を見たところです。写真の左側、家並みの中に、小さいですが緊急放送用の塔が建ってまして、そこらへんが次の目的地です。そこは昔の台地を上るルートでした。観音堂の前を通る道(神々廻・船尾街道)のうち、ここから台地の上までは20世紀になってから開通したものです。観音堂の前の歩道部分が広いのは、そこが旧道部分に当たるからでしょう。旧道は新道よりも北よりに進んだのち、左に折れて、新道よりも南のところから台地を上っていました。
観音堂を出て右へ、神々廻・船尾街道を少し進んでの十字路を左折します。緊急放送用の塔のところ、先ずは塔の手前、道路右に大師堂があります。
武西集会所前の大師堂
続いて、緊急放送用の塔の奥に武西集会所があって、その敷地内にも大師堂があります。
武西集会所
大師堂
六座念仏の称念仏踊り説明板
集会所の北側、駐車場側に、「六座念仏の称念仏踊り」の説明板があります。千葉県指定の無形民俗文化財だったのですが、後継者が無く、事実上消滅したため、平成30年3月6日に指定解除されました。
https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/soumu/press/2017/documents/h29_dai13kai_51gougian.pdf
www.city.inzai.lg.jp
なお、上記印西市Web siteより、ここの住所が印西市武西908であると判ります。
次回は、白井下長殿(白井市復)の長栄堂(17番、白井大師15番)
次回は、ずんと飛びまして、白井下長殿(白井市復)の長栄堂(17番、白井大師15番)に参ります。