印西大師・印西地区の大師堂巡拝 白井下長殿(白井市復)の長栄堂(17番、白井大師15番)

(令和5年7月2日その6)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、武西の武西観音堂(10番)&武西集会所前の大師堂&武西集会所の大師堂の次は、白井下長殿(しろいしもながとろ)(白井市復)の長栄堂(17番、白井大師15番)に参ります。
ここのところ、西印旛沼の北西岸→新川(印旛放水路)の北岸→神崎川の北岸と廻ってきて、武西地区の大師堂まで参ってきました。さすれば次は、白井市谷田の西福寺(26番、白井大師26番)になりますが、西福寺に、白井市清戸の薬王寺(23番、白井大師25番)、白井市神々廻の神宮寺(27番、白井大師1番)は、既に本ブログ上でも参拝済みです。それらを通過すると、その次が白井市復の各札所になるのです。
神崎川の上流方向に移動します。通過する3ヶ寺については、特に門前に立ち寄ることもしません。途中経路は省略して、千葉県道59号木下街道の、神崎川に架かる白井橋から南西約0.2km、復地区の北端になる、本白井郵便局の前に来ました。

千葉県道59号木下街道本白井郵便局前
千葉県道59号木下街道本白井郵便局前
ここから南西方向、写真の奥へと、ごく緩い坂を上りながら進みます。そして、本白井郵便局前から約0.27kmで、右手に寺社の気配のある信号交差点に至ります。
白井秋本寺前
白井秋本寺前
この交差点は左折します。なお、右手にあるのは、秋本寺という日蓮宗の寺院です。境内には白井保育園もあり、それが交差点すぐのバス停の名前にもなっています。ただ、大師廻り・大師堂の調査をしている限りは、日蓮宗系寺院には縁が無いので、今回は参りません。
交差点左折後、右手の2軒目、1階がピロティの駐車場になっている建物が白井下長殿集会所でして、その敷地内に17番大師堂があります。
白井下長殿集会所前
白井下長殿集会所前

白井下長殿集会所

印西大師17番。(長栄堂)
白井大師15番。(或いは21番)
敷地の東側が道路で、敷地の北西側(県道寄り)に集会所の建物、南側に石塔石仏群、南西角に大師堂、大師堂の左に17番標識碑、大師堂の右に白井大師の記念物2基があります。

白井下長殿集会所
白井下長殿集会所

看板

白井下長殿集会所看板
白井下長殿集会所看板
白井下長殿という名称ですが、これは白井市の白井( 明治22年まで白井橋本村 )と、白井市復の下長殿( 明治7年までの長殿村の北部 )とを併せたものです。簡単にいうと木下街道の北側( 及び神崎川の低地 )が白井地区、南側が下長殿地区ですが、両者は狭い街道を挟んで一体的であり、その一方で上長殿( 旧長殿村の南部 )と下長殿は実はかなり離れています。

17番大師堂

17番大師堂
17番大師堂
印西大師17番番号札
印西大師17番番号札
17番御詠歌額
17番御詠歌額
本家四国八十八ヶ所17番は井戸寺でして、御詠歌にも井戸の字があります。一方、白井橋本という地名にも井の字があります。
印西大師の明治初期の史料には、白井の、ちようらく寺(長楽寺)と記されています。また、白井大師の資料では、長栄寺、あるいは、地蔵堂と表記されます。

17番標識碑

17番標識碑
17番標識碑
中央「四國八十八ヶ所写第十七番霊場」、その左「大正九年九月」とあります。(大正9年=1920年)

平成9年白井町組合大師結願記念の碑

平成9年白井町組合大師結願記念の碑正面
平成9年白井町組合大師結願記念の碑正面
平成9年白井町組合大師結願記念の碑背面一部
平成9年白井町組合大師結願記念の碑背面一部
白井大師( 白井町組合大師 )については、この両地区は「白井・下長殿組合大師」という講組織で参加していたことが判ります。

修行大師像

白井下長殿集会所修行大師像
白井下長殿集会所修行大師像
白井下長殿集会所修行大師像建設趣旨
白井下長殿集会所修行大師像建設趣旨
これに拠れば、明治37年4月21日、「日露戦争の戦勝祈願を背景に」、「白井村小廻大師が白井大師組合として創立、当地区も白井・下長殿大師組合として発足、参加」したが、平成17年10月を最後に解散(休止)した。ここでは「白井・下長殿大師組合」となっています。また「両地区」ではなく「当地区」となっている点にも注意。(明治37年=1904年、平成17年=2005年) 神々廻の神宮寺にあった白井市組合大師講解散記念碑と同様な、白井大師解散時の記念物です。

石塔石仏群

白井下長殿集会所石塔石仏群
白井下長殿集会所石塔石仏群

次回は、上長殿(白井市復)の観音堂(87番、白井大師21番)

次回は、上長殿(白井市復)の観音堂(87番、白井大師21番)に参ります。集会所前の道路に出て右(南)に進みます。