印西大師・印西地区の大師堂巡拝 神々廻の神宮寺(27番)

(令和5年4月10日その7)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、河原子の大師堂の次は、神々廻の神宮寺(27番)に参ります。
河原子の大師堂から道路に出た所にある三叉路を南に出ます。この先、神崎川沿いの谷津の左岸(東側)の端、台地の裾の道を下流方向に約1.6km進みます。千葉県道59号木下街道を横断して、神々廻・船尾街道に移り、更に約0.7kmで、左に突然、神宮寺です。

神々廻神宮寺前
神々廻神宮寺前

神々廻の神宮寺

天台宗、神宮寺、白井市神々廻1192番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師27番。
白井大師1番。

神々廻神宮寺
神々廻神宮寺
道路から階段を登って、参道の先に本堂、参道すぐ右に大師堂、参道左に白井市組合大師講解散記念碑、記念碑の左後ろに弘法大師供養塔があります。

本堂

神々廻神宮寺本堂
神々廻神宮寺本堂
院号は竜光院。

大師堂

27番大師堂
27番大師堂
印西大師27番番号札
印西大師27番番号札
27番大師像台座
27番大師像台座
台座には「神々廻村中」とあります。
なお、江戸時代の本家四国八十八ヶ所の27番札所は、神峯(神社)でした。神々廻の神宮寺が印西大師27番になったのは、神つながりなのでしょう。
27番大師堂御詠歌額
27番大師堂御詠歌額
左の大きな御詠歌額は「第貮拾」、次は「三佛」から始まり、「みほとけ」と読めば27番の御詠歌であっています。一方、右の小さな御詠歌額では、下の句が「〓ろづの」「きへう」とあるので、多分1番の御詠歌ではないでしょうか。

白井市組合大師講解散記念碑

白井市組合大師講解散記念碑前面
白井市組合大師講解散記念碑前面
白井市組合大師講解散記念碑背面
白井市組合大師講解散記念碑背面
これに拠れば、白井市組合大師講は、明治37年(1904年)に、神々廻区を元村として始まった、21地区に札所を置いた。記念碑の日付は「平成十七年十月吉日」(平成17年=2005年)、記念碑に記された地区名は、神々廻、白井下長殿、七次、富塚、中の5地区のみ。
明治37年の時点では、現在の白井市のうち平塚地区を除いた地区が、白井村と谷清村(谷田、清戸、十余一)の組合村を成しており、この組合村地域を対象として、白井大師が始まったようです。

弘法大師供養塔

弘法大師供養塔
弘法大師供養塔
供養塔の正面には「供養塔」、右面「明治四十二年〓月廿一日建之」、台座「白井谷清組合村」とあり、記念碑の傍らにあるので、白井大師に関係するものです。

境内横から

神々廻神宮寺境内
神々廻神宮寺境内
境内正面の階段入口とは別に、左(北西)からもスロープを上って入れます。
それでは、次に参ります。道路に出て左(南東)に進みます。次の三叉路を左折すると、坂の途中左に入って墓地の中に大師堂があります。が、今回は記事にはしない事にしました。

神々廻・船尾街道

そのまま、三叉路は直進します。

神々廻・船尾街道の標識
神々廻・船尾街道の標識
この道は、神々廻・船尾街道(ししば・ふなおかいどう)です。神々廻(ししば)は読めませんね。
その先で、千葉県道189号との交差点に出ますが、
千葉県道189号神々廻の交差点
千葉県道189号神々廻の交差点
もともと、神々廻・船尾街道が左に曲がる所に、新しく県道189号を近接して設けたものの、県道の左(東)方向が未完成なので、そちらへの交通を神々廻・船尾街道に迂回させています。ですので、県道完成時には、この交差点も再変更となるでしょう。
ここを左に、神々廻・船尾街道を進み、坂を上ると清戸地区です。

次回は、清戸の薬王寺(23番)

次回は、清戸の薬王寺(23番)に参ります。

更新履歴

2023年04月28日18時30分、初版公開
2023年07月21日16時35分頃、「白井大師1番。」追記