印西大師・印西地区の大師堂巡拝 神々廻の駒形神社下墓地の大師堂(白井大師8番)

(令和5年8月16日その1)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、本日も朝だけ巡拝です。最初の目標は、神々廻の駒形神社下の墓地にある大師堂(白井大師8番)です。
この大師堂は、以前に参拝した、神々廻の神宮寺(27番、白井大師1番)の近くにありますが、その時は参拝せず、記事にもしませんでした。
さて、千葉県道189号の船橋市小室町と白井市神々廻の境、神崎川に架かる橋の北側、小室町寄りに来ています。

千葉県道189号小室町から神々廻方向
千葉県道189号小室町から神々廻方向
橋から北東方向を見た写真で、左の青屋根の民家の向こう側に神宮寺が隠れています。墓地と駒形神社は、写真中央やや右の緑の奥になります。
橋を東に下っての信号交差点、
千葉県道189号神々廻の交差点
千葉県道189号神々廻の交差点
ここを左に切り返します。約0.26km進んでの三叉路、
神々廻駒形神社下三叉路
神々廻駒形神社下三叉路
ここを右折して坂を上ります。(神宮寺へは直進です。) 約0.09kmで、左手に墓地の入口です。
神々廻駒形神社下の墓地の前
神々廻駒形神社下の墓地の前

神々廻駒形神社下の墓地

墓地の正式名称は判りません。
白井大師8番。
入口少し入ってから、斜め右に上る道が分岐し、その分岐の股のところに石塔石仏群、その奥に大師堂が2棟あります。

神々廻駒形神社下の墓地入口
神々廻駒形神社下の墓地入口
神々廻駒形神社下の墓地内の分岐
神々廻駒形神社下の墓地内の分岐

石塔石仏群

神々廻駒形神社下墓地石塔石仏群東端
神々廻駒形神社下墓地石塔石仏群東端
東端・分岐側のこの写真、右の花見堂地蔵は、右「花見堂地藏尊」、左「元文二丁巳三月吉日」とあります。(元文2年=1737年) 左は二十三夜塔で、
神々廻駒形神社下墓地石塔石仏群東端二十三夜塔左面神々廻駒形神社下墓地石塔石仏群東端二十三夜塔正面
神々廻駒形神社下墓地石塔石仏群東端二十三夜塔
その正面の中央「二十三夜塔」、その右「普門品一万巻」、右面上「嘉永四辛亥年 十一月吉日」、左面左上「神々廻村」とあります。(嘉永4年=1851年) その左後ろの石塔、
神々廻駒形神社下墓地石塔石仏群3基目
神々廻駒形神社下墓地石塔石仏群3基目
これは、正面の中央「奉供養時念佛諸願成就」、その左右「宝暦四甲戌天 二月吉日」とあります。(宝暦4年=1754年)
神々廻駒形神社下墓地石塔石仏群4,5基目
神々廻駒形神社下墓地石塔石仏群4,5基目
この写真、右の地蔵は、中央最上部に種字、右「奉造立地藏菩薩爲二世安樂」、左「享保二丁酉年八月吉日」、左の石仏はたぶん大日如来で、右「明和二年酉十月」とあります。(享保2年=1717年、明和2年=1765年)
神々廻駒形神社下墓地石塔石仏群6,7基目
神々廻駒形神社下墓地石塔石仏群6,7基目
この写真、手前の石塔は、中央「奉供養一億念佛現當二世安樂」、その左右「寛政五丑〓 二月廿七日」、奥の地蔵は、中央最上部に種字、右「奉供養地藏尊」、左「元文二丁巳天十一月吉日」とあります。(寛政5年=1793年)
神々廻駒形神社下墓地石塔石仏群8基目
神々廻駒形神社下墓地石塔石仏群8基目
この花見堂地蔵は、中央最上部に種字、右「花見地藏 子」、左「文化九申三月吉日」とあります。(文化9年=1812年)
神々廻駒形神社下墓地石塔石仏群9基目
神々廻駒形神社下墓地石塔石仏群9基目
この石仏は、右「奉供養十九夜念佛二世安全」、左「元禄五天壬申二月九日」とあって、女性の名前が羅列してあります。(元禄5年=1692年)
神々廻駒形神社下墓地石塔石仏群10基目
神々廻駒形神社下墓地石塔石仏群10基目
この地蔵は、右「地藏尊」、左「宝暦九丁卯三月吉日」とあって、おそらく花見堂地蔵です。

大師堂

神々廻駒形神社下墓地右大師堂
神々廻駒形神社下墓地右大師堂
神々廻駒形神社下墓地右大師堂奉納額
神々廻駒形神社下墓地右大師堂奉納額
神々廻駒形神社下墓地左大師堂
神々廻駒形神社下墓地左大師堂
白井大師のある資料には本尊阿弥陀如来の「堂」と記され、別の資料には薬師堂(にある大師堂)とされています。
ここは墓地なので、この辺で切り上げて、次へ参ります。先ほどの石塔石仏群の前で上に分岐していた道を上ります。上ると右手に駒形神社が現れます。
下の墓地から上って右に神々廻駒形神社
下の墓地から上って右に神々廻駒形神社

次回は、神々廻の駒形神社

次回は、神々廻の駒形神社に寄り道します。