印西大師・印西地区の大師堂巡拝 河原子の大師堂

(令和5年4月10日その6)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、平塚村大師その玖の次は、河原子の大師堂に参ります。
前回記事の最後では、白井市平塚の小森城跡の近くを彷徨い、そして諦めました。この日は、この後千葉市に移動する予定でしたので、ここから南に進み、途中の大師堂を参ることにします。まずは、小森から工業団地に入って、その東端の、鮮魚街道に出ます。

白井工業団地東の鮮魚街道への交差点
白井工業団地東の鮮魚街道への交差点
ここの写真、前方(東・至る我孫子市布佐)から右手(西・至る松戸市松戸)が鮮魚街道です。この交差点を右に折り返して、次の小さな交差点、
白井工業団地内鮮魚街道の無名の交差点
白井工業団地内鮮魚街道の無名の交差点
ここ、工場への入口の向こうを左折(南行)します。しばらくして工業団地を抜けて林の中に入り、舗装も無くなってから、右手に建物がみえます。さらに下ると、
河原子天神社横
河原子天神社横
右手に鳥居が見えます。河原子の天神社です。

河原子の天神社

天神社、白井市河原子274番地。(千葉県の宗教法人名簿より)

鳥居・参道

河原子天神社鳥居・参道
河原子天神社鳥居・参道
参道の右の道は、今通ってきた道です。参道の左上には、集会所らしき建物があります。

庚申塔

鳥居の右に庚申塔です。

河原子天神社庚申塔
河原子天神社庚申塔

本殿

参道の緩やかな上りの先に本殿です。

河原子天神社本殿
河原子天神社本殿
鳥居の左のスペース、遊戯設備の他に、大師堂があります。
河原子天神社鳥居左のスペース
河原子天神社鳥居左のスペース

河原子の大師堂

白井大師19番。
印西大師(明治初期の)掛所河原子堂だろうか?

河原子の大師堂
河原子の大師堂
大師堂の後ろに、「奉供養弘法大師一千五十年御遠忌」と題する石塔がありました。(弘法大師1050年遠忌=1884年=明治17年)

御詠歌額

河原子天神社横の大師堂御詠歌額
河原子天神社横の大師堂御詠歌額
御詠歌は、下の句が「〓〓いのふね〓 のり〓いた〓〓」と読めたので、第一候補は19番立江寺になります。そうすると上の句の先頭が「い」に、下の句が「ぐせいのふね〓 のりていた〓〓」に見えてきます。
河原子天神社横の大師堂前
河原子天神社横の大師堂前

大師堂のあるスペース

この大師堂のスペース、道路側に庚申塔があります。

河原子天神社横の大師堂前庚申塔
河原子天神社横の大師堂前庚申塔
こちらの庚申塔、左から順に「天明五乙己天十一月吉日」、「寛延元戊辰十月吉日」、「宝永六己丑十月吉日」とあります。(天明5年=1785年、寛延元年=1748年、宝永6年=1709年) 右端の年号については未確認です。
敷地内左側の石仏は整理されていません。
河原子天神社横の大師堂の石仏
河原子天神社横の大師堂の石仏
ここの大師堂のスペースには、かつては仏教的なお寺かお堂があった様ですが、いまは大師堂の他には石碑、石塔石仏、ふるい墓石だけです。少し離れて遊戯施設がありますが、使い手は見当たりません。但し、大師堂は、側に明治前期の弘法大師供養塔があることを踏まえると、建て替えられたとか、他から移転してきたとかはありうるにしろ、かなり昔からあったようです。

次回は、神々廻の神宮寺(27番)

次回は、神々廻の神宮寺(27番)に参ります。大師堂から道路に出た所にある三叉路を南に進みます。

更新履歴

2023年04月27日18時30分、初版公開
2023年07月21日16時40分頃、「白井大師19番。」追記