印西大師・印西地区の大師堂巡拝 平賀花島山の大師堂

(令和5年6月5日その1)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝ですが、本日こそは、印西市の東端、印旛沼(干拓地)に食い込む山田・平賀(ひらか)両地区を目指します。
船橋から長駆して国道464号を進み、吉高地区から印旛捷水路を跨ぐ吉高北大橋の上まで来ました。ここからは、北印旛沼や、先々日の最後に参った吉高の迎福寺(53番)も見えます。

国道464号吉高北大橋からの吉高地区
国道464号吉高北大橋からの吉高地区
国道464号吉高北大橋からの吉高迎福寺
国道464号吉高北大橋からの吉高迎福寺
国道464号吉高北大橋からの印旛捷水路
国道464号吉高北大橋からの印旛捷水路
とまあ、折角上ってきた大橋ですが、西(吉高)側に一旦下りまして、右ターンして側道を東に進み、大橋の下まで来ます。
国道464号吉高北大橋の下
国道464号吉高北大橋の下
この写真の右から来て、三叉路を右折して写真の奥に進み、印旛捷水路を橋で渡ってなおも直進します。そのまま、山田地区の北側、左は干拓によって整備された山平二区地区という道を進むと、進行方向に小山が見えます。
印西市山平二区からの印西市平賀花島山
印西市山平二区からの印西市平賀花島山
これが平賀地区の北端の小山で、花島山または離島と呼ばれるものです。この山が、本日最初の目標になります。これを目指して進み、ついには花島山の北側から東側を進んで、南端の三叉路に至ります。印旛捷水路の橋から約2.1km強です。
印西市平賀花島山南端の三叉路前
印西市平賀花島山南端の三叉路前
この三叉路を右折し、ちょっとだけ進むと、右手に何かあります。
印西市平賀花島山南端
印西市平賀花島山南端
この写真は、進み過ぎて振り返ったもので、その左側には、山の上にある不動堂と38番大師堂への入口があるのです。

花島山の不動堂と38番大師堂

入口と参道

平賀花島山不動堂入口
平賀花島山不動堂入口
これじゃあ、ちょっとわかりませんね。でも、そこを進むと、
平賀花島山不動堂参道
平賀花島山不動堂参道
上へ続く階段があります。参道です。
そのまま頑張って上ると、森の中、平らになったあたりで、前方上方に、白いフクロウ類が一羽、飛んできて枝にとまりました。数秒間、両者相対の後、そいつは右へと飛んで消えました。これは、予想してなかった。予想してなければ写真もとれません。
追尾は諦めて、先へ進むと、不動堂と38番大師堂が現れます。
平賀花島山不動堂
平賀花島山不動堂

不動堂と38番大師堂

平賀花島山不動堂と38番大師堂
平賀花島山不動堂と38番大師堂
奥の大きいお堂が不動堂で、その右手前に38番大師堂です。

手水鉢

平賀花島山不動堂手水鉢
平賀花島山不動堂手水鉢
手水鉢には、右「奉寄進」、左「寛延四辛未年」とあります。(寛延4年=1751年)

38番大師堂

平賀花島山38番大師堂
平賀花島山38番大師堂
38番御詠歌額
38番御詠歌額
御詠歌は、本家四国八十八ヶ所38番の金剛福寺のものです。
印西大師の明治初期の史料には、平賀の、はなれしま(離島)に38番札所があったと記されています。また、現在の印西大師38番札所、六軒(大森)の厳島神社の38番大師堂は、平賀村の花島山から遷座したとされます。今の花島山の38番大師堂は、印西大師の番付札所からは外されたものの、本家38番の写しとして存続(あるいは復活)したものでしょう。
それでは、次へ参ります。参道を戻って下山、道路に出たら左、直ぐの三叉路を右(南)で、今度は平賀地区の台地の麓を南に進みます。しばらく進んで、少し左に膨れてから右に戻した直後の三叉路で、
平賀来福寺入口三叉路
平賀来福寺入口三叉路
「印光山来福寺」は右との看板が現れます。その通りに右折すると、
平賀来福寺前
平賀来福寺前
右手前に角崎生活改善センター、その先右にお堂がふたつ見え、さらに来福寺の門があります。花島山参道入口から来福寺の門まで2kmと少しです。
角崎生活改善センター看板
角崎生活改善センター看板

次回は、平賀の来福寺(66番)

次回は、平賀の来福寺(66番)に参ります。