印西大師・印西地区の大師堂巡拝 平岡の東大寺(22番&28番)

(令和5年4月21日その4)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、別所の宝泉院(70番)&平岡の鳥見神社の次は、平岡の東大寺(22番&28番)に参ります。
鳥見神社の参道から道路に出て左(北)に進み、平岡の集落に入ります。すると、

印西市平岡の無名の十字路
印西市平岡の無名の十字路
集落に入ってすぐの十字路、その北側の一角に少しだけスペースがあって、そこに出羽三山供養塔が1基のみありました。

平岡の出羽三山供養塔

平岡の出羽三山供養塔
平岡の出羽三山供養塔
供養塔の正面上部は右から「羽黒山 湯殿山 月山」で、湯殿山を中央一段高く記しています。
この先直ぐに、平岡集会所のバス停、右手に印西市消防団第1分団第3部倉庫があります。
印西市の平岡集会所バス停
印西市の平岡集会所バス停
その先、道が下り坂になるところ、左に木下霊園・東大寺の看板があります。

平岡の東大寺

天台宗、東大寺、印西市平岡1230番地1。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師22番&28番。

平岡東大寺入口
平岡東大寺入口
道路からスロープを上って門があり、その先参道を真っ直ぐに進むと本堂、本堂の右前に薬師堂、本堂の左前に22番&28番大師堂です。また、門の前左右にも石塔石仏があります。

門の周辺

平岡東大寺の門
平岡東大寺の門

地蔵菩薩像兼六十六部供養塔

門の手前右の地蔵菩薩像は、六十六部供養塔を兼ねています。

平岡東大寺地蔵菩薩像兼六十六部供養塔
平岡東大寺地蔵菩薩像兼六十六部供養塔
最上部に種字、右に「奉納大乘妙典六十六部日本回國」、左に「明和五戊子天二月六日」とあります。(明和5年=1768年)

本堂と薬師堂

平岡東大寺本堂と薬師堂
平岡東大寺本堂と薬師堂
写真の奥が本堂で、本尊は阿弥陀如来。
平岡東大寺本堂扁額
平岡東大寺本堂扁額
山号は医王山、ということは元々の本尊は薬師如来だったのでしょうか。

22番&28番大師堂

22番&28番大師堂
22番&28番大師堂
印西大師22番番号札
印西大師22番番号札
22番御詠歌額
22番御詠歌額
28番御詠歌額
28番御詠歌額
印西大師28番番号札
印西大師28番番号札
印西大師の明治初期の史料では、28番札所は、東大寺から少し離れた場所にあって、大にちとう(大日堂)と称されていました。因みに、同じ史料での22番は東大寺となっています。
22&28番大師堂右の台座
22&28番大師堂右の台座
台座には、ピントが合っていないけれども、「文政十二丑十一月」とあります。(文政12年=1829年)
さて、大師堂の右に小さな標識塔らしき石塔と、その右に弘法大師供養塔があります。

標識塔らしき石塔

平岡東大寺の標識塔らしき石塔
平岡東大寺の標識塔らしき石塔
石塔の右には「新四國」とあるようですが、後は不明瞭です。

弘法大師供養塔

平岡東大寺弘法大師供養塔正面左面平岡東大寺弘法大師供養塔背面右面
平岡東大寺弘法大師供養塔
供養塔の正面「南無大師遍照金剛供養塔」、左面「昭和六年九月二十一日建之」、左面「先達 笠神 南陽院 砂田 西福寺 萩原 龍泉院」、台座「小廻組」とあります。(昭和6年=1931年)
最後に、門の左(南)側、出るときの右側に、庚申塔・廿三夜塔があります。

庚申塔・廿三夜塔

平岡東大寺の庚申塔・廿三夜塔全体
平岡東大寺の庚申塔・廿三夜塔全体
平岡東大寺の庚申塔・廿三夜塔左平岡東大寺の庚申塔・廿三夜塔右
平岡東大寺の庚申塔・廿三夜塔
この中の一番右、本堂寄りの庚申塔は、正面の中央「青面金剛王」、その左右「寛政十二庚申天 十一月吉日」、その下「西ハ竹袋村」、左面の下「北ハ平〓村」、右面の下「南ハ 別所 〓〓」とあります。(寛政12年=1800年)
その左隣の廿三夜塔は、正面の中央「廿三夜」、その右下「南…」(仮名文字読めん)、左面の下「西 大もり 江戸 みち」、右面の左「東小林…」、その隣は「…歳十月吉」とあります。
この2つは、道標を兼ねているようです。往時は、今とは違う場所に、違う向きで置かれていたのでしょう。

次回は、小林の馬場の堂(37番)、序に小林の鳥見神社

次回は、小林の鳥見神社に寄り道した後、小林の馬場の堂(37番)に参ります。参道から道路に出て、今日は左(北)に出て坂を下り、JR成田線の踏み切り前に右折します。