印西大師・印西地区の大師堂巡拝 岩戸の広済寺

(令和5年6月25日その7)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、伊付集会所の大師堂&岩戸の高岳寺(32番)の次は、岩戸の広済寺に参ります。
高岳寺の門を出て千葉県道64号を左に進みます。この県道は集落の中を走る、ちょっと狭くて、それなりな交通量がある道なので嫌らしいのですが、我慢して約0.5km進むと、左手に墓地が現れます。これが広済寺です。

岩戸広済寺前
岩戸広済寺前

岩戸の広済寺

曹洞宗、広済寺、印西市岩戸1792番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
古い墓地の先に入口があり、入口から参道を進むと左手に六地蔵と子安塔、少し進んで弘法大師供養塔、また進んで大師堂と子安観音堂、参道の奥に本堂です。参道の右は駐車場的なスペース、本堂の右から裏に印旛南霊苑があります。

入口

岩戸広済寺入口
岩戸広済寺入口
入口の左に「印旛南霊苑」、右は、
岩戸広済寺入口右側
岩戸広済寺入口右側
「岩龍山広済寺」とあります。

境内

岩戸広済寺境内
岩戸広済寺境内

六地蔵と子安塔

岩戸広済寺の六地蔵と子安塔
岩戸広済寺の六地蔵と子安塔
手前の六地蔵のうち、左から2番目には、右「明和四丁亥十一月吉日」、左「講中二十六人」とあります。(明和4年=1767年)
奥の子安塔では、左から2番目には、右「子安大明神」、左「文政六未十月吉日」、その右隣には、右「子安観世音」、左「天保五午十一月吉日」とあります。(文政6年=1823年、天保5年=1834年)

弘法大師供養塔

岩戸広済寺弘法大師供養塔
岩戸広済寺弘法大師供養塔
岩戸広済寺弘法大師供養塔拡大
岩戸広済寺弘法大師供養塔拡大
供養塔の正面「南無遍照金剛」、右面「文政六未四月十三日」とあります。

大師堂と子安観音堂

岩戸広済寺の大師堂と子安観音堂
岩戸広済寺の大師堂と子安観音堂
写真の左が大師堂です。
印西大師の明治初期の史料にも、広済寺が掛所と記されています。
写真の右は子安観音堂で、その事は堂内の札からも判ります。
岩戸広済寺子安観音堂の札
岩戸広済寺子安観音堂の札

本堂

岩戸広済寺本堂
岩戸広済寺本堂
岩戸広済寺本堂扁額
岩戸広済寺本堂扁額
それでは、次へ参ります。入口から県道に出て右(北)へ、道を戻ります。約0.19km、宗像郵便局のところで県道が右にカーブします。
千葉県道64号宗像郵便局前
千葉県道64号宗像郵便局前
このカーブした直後の小さな三叉路を左に入る予定ですが、その前に。
郵便局前のカーブは、元は郵便局の少し北でのT字路だったのを、県道のみ曲線化したものです。その元のT字路の郵便局側に、庚申塔と祠があります。
宗像郵便局側の元T字路
宗像郵便局側の元T字路

宗像郵便局側の庚申塔

宗像郵便局側の庚申塔と祠
宗像郵便局側の庚申塔と祠
宗像郵便局側の庚申塔左面
宗像郵便局側の庚申塔左面
宗像郵便局側の庚申塔正面宗像郵便局側の庚申塔正面右面
宗像郵便局側の庚申塔
庚申塔の正面の中央「庚申塔」、その右「明治廿年三月吉日」、その左「北 造谷〓〓道」、左面「南 〓〓千葉道」、右面「西 吉田船橋道」、台座正面「道上講中」とあって、道標を兼ねています。(明治20年=1887年) 道上とは、地理院地図にも記載がある、この辺りの小字でしょう。古い地図では、道上の「上」に「ジョウ」とカナを振ったり、別の地図では、道塲と表記したりもします。
隣の祠は、よく判りませんでした。
この庚申塔の正面方向に進み、前に触れた通り、すぐの三叉路で左の細い道に入ります。次の、千葉県道263号との十字路は、
千葉県道263号旧宗像小学校入口十字路
千葉県道263号旧宗像小学校入口十字路
直進して県道を横断します。その次の三叉路、
旧宗像小学校南東三叉路
旧宗像小学校南東三叉路
この写真は、三叉路の左にちょっと入って撮影していますが、泉福寺薬師堂への案内の通りに、三叉路を直進します。その先、旧宗像小学校の入口を通過して、道が右に曲がり始めるところ、直進気味の左手に泉福寺(74番)の入口があります。
岩戸泉福寺前
岩戸泉福寺前

次回は、岩戸の泉福寺(74番)

次回は、岩戸の泉福寺(74番)に参ります。