印西大師・印西地区の大師堂巡拝 浦部の歓喜院(88番)

(令和5年8月18日その6)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、亀成の水神社の次は、印西大師最後の札所、浦部の歓喜院(88番)に参ります。
水神社から南の水神橋、右折後に松山橋を渡り、松山下公園に入って北側を西へ、総合体育館の北西、日だまりの丘の南西にある駐車場から、公園の外に出ます。

印西市松山下公園西の駐車場から公園の外へ
印西市松山下公園西の駐車場から公園の外へ
駐車場出口は写真の右手ですが、写真の三叉路に出て右折、写真の奥の方へ進みます。次の五叉路にて、
印西市松山下公園西の五叉路
印西市松山下公園西の五叉路
ここは右折した方が良いです。
右折しない場合は、直進(僅かに右)で、次の突き当たりは、
松山下公園から浦部歓喜院への最短経路
松山下公園から浦部歓喜院への最短経路
この写真の右から来て、右折すぐ左折です。そうすると歓喜院の下に出ます。
浦部歓喜院下
浦部歓喜院下
ここから狭い階段で境内に着きます。
戻りまして、先程の五叉路を右折した場合は、千葉県道59号木下街道との十字路、
千葉県道59号永治簡易郵便局前十字路
千葉県道59号永治簡易郵便局前十字路
ここを左折、そこから約0.27kmのとある地点、
千葉県道59号浦部歓喜院入口
千葉県道59号浦部歓喜院入口
街灯の広告に「関東北向薬師如来 天台宗歓喜院」とある所を左折します。すぐに、行き止まりの左に歓喜院です。
浦部歓喜院前
浦部歓喜院前

浦部の歓喜院

天台宗、歓喜院、印西市浦部593番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
印西大師88番。
こちらからですと道の行き止まりの正面やや右にお堂、左に山門、山門のさらに左には墓地、山門から参道を進んで左に本堂、本堂の反対側に進むと、右手に薬師堂、薬師堂の先で右に折れると左に大師堂、その先左に下り階段があります。

山門

浦部歓喜院山門
浦部歓喜院山門

山門左

山門左には無縁仏がありますが、その左端(山門寄り)には花見堂地蔵などがありました。

浦部歓喜院山門左花見堂地蔵
浦部歓喜院山門左花見堂地蔵
この地蔵は、中央最上部に種字、右「花見堂地蔵〓」、左「…四卯三(葉陰)」とあります。(卯年のうち、寛永4年=1627年、慶安4年=1651年、貞享4年=1687年、延享4年=1747年、文化4年=1807年、天保14年=1843年)
花見堂地蔵の背後の石塔は、
浦部歓喜院山門左花見堂地蔵背後石塔
浦部歓喜院山門左花見堂地蔵背後石塔
中央最上部に種字、左「日記念佛講中」とあります。日記とは?

本堂

浦部歓喜院本堂
浦部歓喜院本堂

薬師堂

浦部歓喜院薬師堂
浦部歓喜院薬師堂
浦部歓喜院奉納額
浦部歓喜院奉納額

88番大師堂

88番大師堂
88番大師堂
右側が大師堂です。
印西大師88番番号札
印西大師88番番号札
88番御詠歌額
88番御詠歌額
88番大師像台座
88番大師像台座
台座には「嘉永七寅年 十一月吉日 本江中」とあります。(嘉永7年=1854年) 嘉永7年11月は、4日に東海地震(M8.4と推定)、27日には安政に改元されています。
印西大師の明治初期の史料には、浦部の、やくしとう(薬師堂)が88番札所と記されています。
大師堂の右前に弘法大師供養塔があります。

弘法大師供養塔

浦部歓喜院弘法大師供養塔正面左面浦部歓喜院弘法大師供養塔正面右面
浦部歓喜院弘法大師供養塔
正面「新四國八十」、右面「〓無大師遍〓」、左面「文化十一 戌」とあります。供養塔の下部は埋まっているか、失われた様です。

帰宅

これで、印西大師の89ヶ所の番付札所全てと、印西市と白井市で把握している大師堂のうち2ヶ所を除く全てに、このブログ上で巡拝いたしました。
本日はこれまでとします。今日の参拝は、印西大師の番付札所3ヶ所と、それ以外の大師堂2ヶ所などでした