(令和5年6月25日その2)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、西台(師戸西谷)の大師堂2ヶ所の次は、古谷(岩戸)の青竜堂(36番)などに参ります。
師戸西谷地区から師戸川の谷津田の左岸側の道に出て、上流方向(北)に進みます。そうして、師戸地区と鎌苅地区の境界まで至り、対岸を見ますと、この写真、左手から来ています。目の前の土手状の部分は古道でして、師戸の台地から来た道(現存)が写真背後から来て写真前方に抜けていました。その道が、師戸と鎌苅の境界にもなります。
そして、この写真の左奥に、青竜堂があります。ですが、青竜堂自体は見えません。
舗装道を写真右手に進みます。谷津田沿いに進むと、鎌苅地区と岩戸地区を結ぶ新道に出ます。この写真の右側、高台の上に墓地が見える辺りが大廻地区で、のちほど参りますが、その前に青竜堂です。新道に出て左に進み、師戸川を渡って岩戸地区に入り、新道が右にカーブする三叉路で左折、その後は台地の裾を進みます。そして、この写真中央の道を使って、この小さな谷津田の対岸に渡ります。その先、谷津田に沿って進むと、少し坂になってから右手に青竜堂が現れます。
古谷(岩戸)の青竜堂
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
印西大師36番。
入口の右に古い石仏、入口入って左に池、奥に青竜堂の建物、建物の左に36番大師堂です。
入口の石仏
中央の石仏は、右面「慶應元乙丑九月吉日」とあります。(慶応元年=1865年)
池
青竜堂扁額
36番大師堂
印西大師の明治初期の史料には、36番札所として、ふるやどう(古谷堂)が記されています。古谷は、地理院地図にも記載があるので、この辺りの小字でしょう。そして、青竜堂という呼称ですが、これは、本家四国八十八ヶ所36番青竜寺の名をそのまま冠したのでしょう。
それでは、次へ参ります。青竜堂から道路に出て右へ進むと、すぐに、短いが急な上り坂になります。この写真の右に青竜堂の池ですが、進行方向に白い観音像の背中が見えますので、そちらに参ります。坂を上って新道に出て右で、観音像の正面に回り込みます。
古谷(岩戸)の観音像と猿田彦神社
千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。塚の上に観音像、塚と道路の間に猿田彦神社です。大師堂はありません。
観音像
観音像の左に由来誌の碑があります。
由来誌
これに拠れば、この観音像は、「岩戸おつゆ長者観音様」だそうです。
猿田彦神社
鳥居
石祠
庚申塔
石祠の右に庚申塔があります。猿田彦神社にある庚申塔ですから、ある意味、御神体といえますか。右の庚申塔には「延享三丙寅年 十一月日」とあります。(延享3年=1746年)
それから、青竜堂の裏手に回ってみると、石祠があるのを発見しました。
古谷(岩戸)青竜堂裏の石祠
石祠の右面には「享和二年戌」とあります。(享和2年=1802年)
この石祠と、青竜堂や観音像との位置関係は、以下の通りです。
次回は、大廻の宗像神社
次回は、大廻の竜淵寺(80番)に参る途中に、大廻の宗像神社に寄り道します。観音像・猿田彦神社から新道に出て左に進み、次の横断歩道手前の三叉路を右折します。