(令和5年4月13日その6)
印西大師・印西地区の大師堂 巡拝、和泉の鳥見神社 に寄り道した次は、泉新田(泉)の泉新田大師堂などに参ります。
なんのかんので、印西市大塚から印西市鹿黒南の千葉県道61・189号交差点を東へ渡りました。この先のGoodman Business Park West Buildingの入口付近では、Goodman Business Park West Building入口付近 Park入口直ぐ先(東)の三叉路を右折、次の三叉路は左折、次の三叉路は直進気味に右で、泉の集落のストレートなストリートに出ます。ほどなく、左手に庚申塔が現れます。泉の庚申塔群前
泉の八幡神社
八幡神社、印西市泉19番地。(千葉県の宗教法人名簿より)泉八幡神社鳥居 鳥居の先はスペースを挟んで、拝殿ではなくて泉会館という建物があります。泉会館の裏に社殿です。泉八幡神社社殿
泉の泉王寺
真言宗醍醐派、泉王寺、印西市泉18番地。(千葉県の宗教法人名簿より)泉の泉王寺 道路際に石柱門、入って右に手水鉢、参道真っ直ぐに本堂らしき建物、参道途中左に泉新田大師堂、大師堂の左奥に弘法大師供養塔があります。
石柱門
泉の泉王寺石柱門 この門には「愛宕山紀念 印旛郡富里村七榮講中」とあり、現在の富里市七栄の人たちが奉納したものです。なお、富里「村」の存続期間は明治22年(1889年)から昭和60年(1985年)までです。
本堂?
泉の泉王寺本堂? 手前の柱が歪んでいる様な。泉の泉王寺本堂?扁額 扁額には「愛宕山」とあり、ここの山号かもしれません。
手水鉢
泉の泉王寺手水鉢 手水鉢には「天保二年辛〓〓正月吉旦」( 〓〓は字体簡潔明瞭だが読めない )とあります。
泉新田大師堂
泉新田大師堂 こちらの祠も中は拝観できませんが、右の壁面に泉新田大師新築落成講中氏名と題したプレートがあり、大師堂だとわかります。泉新田大師新築落成講中氏名
弘法大師供養塔
弘法大師供養塔 供養塔正面の中央「弘法大師供養塔」、その左右「天下泰平 五穀成就」、背面中央「明治二十五壬辰年四月二日」、その左下「當山 泉王寺住」とありますでしょうか。また、弘法大師供養塔左面の一部 左面には「笠神村 南陽院 平賀村 来福寺 師戸村 迎福寺」とあり、これらは、いわば印西大師の幹事役の寺になりますので、この供養塔も印西大師に関連するものです。但し、迎福寺は吉高にあり、師戸にあるのは廣福寺(広福寺)です。読み間違えたかも。
印西大師の明治初期の史料では、この辺りに不動堂という掛所があり、一方、次のWebページが引くところの印旛郡誌に拠れば、泉王寺の本尊は不動明王だそうで、掛所不動堂が当地にあって、その後継が泉新田大師堂である可能性は高そうです。
tesshow.jp
次回は、鹿黒の西光寺(4番)
次回は、鹿黒の西光寺(4番)に参ります。泉王寺を出て左(東)に進み、次の三叉路を左折して、しばらく直進します。
更新履歴
2023年05月05日18時30分、初版公開
2023年05月05日18時35分頃、「愛宕山記念」→「愛宕山紀念」