印西大師・印西地区の大師堂巡拝 草深の専徳寺

(令和5年5月24日その5)
印西大師・印西地区の大師堂巡拝、草深の如意輪寺&草深の大生寺の次は、草深の専徳寺に参ります。
大生寺の東、谷津田の北にある地蔵堂と石塔石仏群の前に来ています。

草深大生寺東の地蔵堂・石塔石仏群前(再掲)
草深大生寺東の地蔵堂・石塔石仏群前(再掲)

草深大生寺東の地蔵堂・石塔石仏群

草深大生寺東の地蔵堂・石塔石仏群
草深大生寺東の地蔵堂・石塔石仏群

庚申塔

石塔石仏群の中央、一番高いのが庚申塔です。

草深大生寺東の庚申塔
草深大生寺東の庚申塔
その正面中央に「庚申」、その左右「享保十乙己天 十一月吉日」とあります。(享保10年=1725年、乙己は乙巳の意)

道標兼月待塔

草深大生寺東の道標兼月待塔正面
草深大生寺東の道標兼月待塔正面
草深大生寺東の道標兼月待塔正面左面
草深大生寺東の道標兼月待塔正面左面
草深大生寺東の道標兼月待塔背面
草深大生寺東の道標兼月待塔背面
草深大生寺東の道標兼二十三夜塔右面
草深大生寺東の道標兼二十三夜塔右面
先の庚申塔の左にある石塔2基のうち、先ず右の大きい方は、正面の中央「廿三夜塔」、その左右「明治十八年十二月吉日」、左右面はなんか読めないが、左面に「南」、「西」、「道」、右面に「東松虫成田」、「南〓〓〓佐倉千〓」とあって、道標を兼ねた二十三夜塔です。左端の石塔は、右を向いている正面「二十五夜塔」、その下「南 吉田か」、道路に面した左面「西 大森道」、左を向いている背面「北 瀧 道」、藪を向いている右面の中央「東 岩戸道」、その右「大正五年九月」とあって、道標を兼ねた二十五夜塔です。(明治18年=1885年、大正5年=1916年)

地蔵堂

草深大生寺東の地蔵堂
草深大生寺東の地蔵堂
それでは、次へ参ります。ここから谷津田を横断して対岸に渡り、そこの十字路を左折します。そこから約0.4km、左から谷津田を渡ってきた道と合流した次の三叉路、
草深の師戸川沿いから専徳寺への三叉路
草深の師戸川沿いから専徳寺への三叉路
ここを右に入って緩い坂を上ります。三叉路から約0.4km、突然、左に竹囲いが現れます。
草深専徳寺前北から
草深専徳寺前北から
ちょっと進んで振り返ると、
草深専徳寺前南から
草深専徳寺前南から
専徳寺の入口だとわかります。

草深の専徳寺

千葉県の宗教法人名簿には記載がありません。
山号は慈光山。参道を進むと、左に建物があって、右は墓地、その間に大師堂、大師堂の左後方に石仏群があります。

参道

草深専徳寺参道
草深専徳寺参道

境内

草深専徳寺境内
草深専徳寺境内

大師堂

草深専徳寺大師堂
草深専徳寺大師堂

石仏群

草深専徳寺石仏群右
草深専徳寺石仏群右
前列右端の石仏は、一番上に種字、右「十九夜念」、左「元禄六年十月吉日」とあります。(元禄6年=1693年) その左2体は子安像です。
草深専徳寺石仏群左
草深専徳寺石仏群左
前列全体で右から4体目、写真の右の石仏は、右「奉造立〓〓供養」、左「元禄十三巳十月十九日」とあります。
草深専徳寺石仏群左後列
草深専徳寺石仏群左後列
後列左から2体目、写真の右の石仏は、右「奉造立十九夜念佛」、左「宝永六丑年十月十九日」とあります。(宝永6年=1709年)
これで、草深の大師堂はひととおり参りました。次へ参ります。参道を戻って左折(南行)し、突き当たりの三叉路を左に、と思ったら、この三叉路を右手前(北西角)に、道標を見つけました。
草深専徳寺南三叉路
草深専徳寺南三叉路
この写真の向こうから来て、右に行く予定です。

草深専徳寺南三叉路の道標

草深専徳寺南三叉路道標東面北面
草深専徳寺南三叉路道標東面北面
草深専徳寺南三叉路道標東面南面
草深専徳寺南三叉路道標東面南面
道標のうち、上に「東」と彫ってある面(東面)は、その下に「岩戸 大廻 造谷 道」、更に下に「大正八年 草深開〓 二百五十年 草深〓〓」、「北」面は「六軒 木下 道」、「南」面は「吉田 岩戸 道」とあります。草深のうち、泉(新田)近くの旧県道沿いにあった道標や、内川集会所の敷地にあった道標と、同時期に設置されたものです。
そして、この三叉路を東に、専徳寺からだと左折で、草深地区から離脱です。

次回は、造谷の真珠院(11番)

次回は、造谷の真珠院(11番)を目指しますが、たどり着けるでしょうか。