2023年遍路第4日その12、大日寺(13番)横に出たところから。
遍路第4日(平坦ステージ)
日付 : 2023年10月20日
常楽寺(14番)から鮎喰川を越えて、徳島県道21号神山鮎喰線の大日寺(13番)東側、一宮神社(元13番)向かいの交差点に出た。時刻は16時28分。
大日寺の納経所は17時前までは開いている事が判っているので、先に一宮神社の御朱印受付時間などを確認すべく、県道を渡って神社側へ。社務所は何処か。
見て廻ったところ、ここの御朱印は良心市方式であった。また、受付終了時間などは無いようだ。
であれば、終了時間が迫っている大日寺が先である。また県道を渡り、大日寺は駐車場が遠いので、自転車を持って山門に入り、境内に自転車を寝かせて頂いた。16時33分。
大栗山大日寺
真言宗大覚寺派、大日寺、徳島県徳島市一宮町西丁263。(四国八十八ヶ所霊場会Webより)
四国八十八ヶ所13番。
dai13.jp
ja.wikipedia.org
大日寺の読みは「だいにちじ」。
午前中の黒巌山大日寺(4番)に続いて、本日2ヶ所目の大日寺になる。
山門入って左に進んで本堂、右に大師堂である。早速、本堂、大師堂でお勤めし、納経所へ。次は、また県道を渡って一宮神社へ、参拝後に御朱印を頂く。それから大日寺に戻って、撮影開始。
本堂
中央( 写真の左 )の扁額は、中央「本尊十一面觀世音」、右「四國第十三番一之宮大日寺」。
大師堂
山門
山門撮影中に17時になり、寺自体は門を閉じないそうだが、まあ、ここまででしょう。
山門の向こうに神社の入口がある。みたび、神社側に移る。
一宮神社
一宮神社、徳島市一宮町西丁237。(徳島県神社庁Webより)
阿波国一宮(複数あり)。
四国八十八ヶ所元13番。
ja.wikipedia.org
明治の神仏分離より前は、一宮神社が四国八十八ヶ所の札所であり、大日寺は神社の別当寺であった。
一宮神社が札所になったのは、阿波国の一宮として、であろう。Wikipedia日本語版が参考文献では論拠として弱いが、それに拠れば、平安時代後期に上一宮大粟神社の分祠として一宮神社が創建、南北朝・室町時代に大麻比古神社が守護細川家の盛り立てもあって阿波国一宮になった、という流れらしい。なので、八十八ヶ所のメンバーが固定化されたのは平安後期以降で、室町期にはもう固まっていて変更されなかったようだ。
境内であるが、この記事冒頭の交差点から南に入ってすぐ右に鳥居、鳥居からは参道真っ直ぐに拝殿、拝殿の左に摂末社、本殿の右側に重要文化財説明板がある。社殿の右手に県道そして大日寺となっている。
さて、参拝と御朱印は既に済ませたので、撮影開始。
鳥居
神額は「一宮神社」。
拝殿
こちらの神額はたぶん「一宮大明神」。
本殿
国指定の重要文化財。bunka.nii.ac.jp
摂末社
略記説明板
これに拠れば、ご祭神は大宜都比売命、別名を天石門別八倉比売命。式内大社、天石門別八倉比売神社に充てられるという。
境内東側
撮影時刻は17時09分。大日寺と一宮神社併せての滞在時間は約41分。
この写真の石柱門から県道を横断して、撮影者の背後に進むと、すぐに今晩の宿「名西旅館花」に至る。
次回は、遍路第4-5日、焼山寺(12番)への道
次回は、宿に泊まって翌朝、焼山寺へアタックします。
更新履歴
2023年12月07日18時30分、初版公開
2023年12月07日18時40分頃、「南に入ってすぐ左に鳥居」→「南に入ってすぐ右に鳥居」。
2024年02月10日11時55分頃、「阿波国一宮(複数あり)」を追記。