2023年遍路第4日&第5日 焼山寺(12番)への道&杖杉庵

2023年遍路第4日その13&第5日その1、名西旅館花に着いたところから。

遍路第4日(平坦ステージ)

日付 : 2023年10月20日
大日寺(13番)と一宮神社(元13番)のすぐ近くにある「名西旅館花」に到着して、本日の活動は終了。

本日(第4日)の走行記録


トータル42.44km、移動平均時速14.4km/h、総活動時間9時間01分37秒、これらには境内など歩行部分を含むが、十楽寺(7番)境内は途中から計測。
途中、阿波国分寺(15番)から常楽寺(14番)にかけて、雨がぱらつくこともあったが、雨具を引っ張り出す事は無かった。
ただ、1日で札所12ヶ所と元札所の神社1ヶ所を廻ったので、なんというか、慌ただしいものだった。

名西旅館花

www.hana-myouzai.com
今晩の宿は「名西旅館花」さん。一階には一見小さな喫茶店のような食堂、客室は2階以上(個室)、エレベーターあり、トイレは共同、風呂(交代制)とランドリーは一階にある。
夕食のため一階に降りると、先客は女性の遍路がおひとり、そして後から、昨晩十楽寺(7番)「光明会館」で同宿だった三人組さんが降りていらした。
食事の後は、というか食事中から、宿のご主人も交えた雑談タイムになる。重要な情報としては、鶴林寺(20番)手前の勝浦町の宿は予約で一杯だ、また、遍路宿には直前でキャンセルが入ることがある、など。私が自転車で廻っているので、立江寺(19番)から少し離れるが小松島のHOTEL AZが良いと、そして明日の焼山寺(12番)詣りの際は、この宿で荷物を預かってくれるとおっしゃる。
私の当初の計画は、大日寺(13番)から徳島県道21号神山鮎喰線、県道20号石井神山線、国道438&439号、県道43号神山川島線を経由して焼山寺へ登った後、県道43号から国道438&439号府能トンネルを経て、県道33号小松島佐那河内線で恩山寺(18番)近くまで、というものだった。
それが、この宿に荷物を預けた場合、焼山寺から宿まで戻った上で、県道208号一宮下中筋線を使って、「ぶんかのもり」近くから国道55号に出て恩山寺へ、となる。
ちょっと考える。宿に荷物を置くと、距離的には遠回り、上り坂は少しだけ減る、うーん。ただ、荷物を減らして片道30kmに焼山寺の登りに臨めるのは利がある。遍路で宿(、それに昔は真念庵など)に荷物を預けて札所を往復するのはよく聞く話である。
考えた結果、この話を受ける事にした。
夕食後、洗濯やら入浴やらを終えて、明日の準備で少しだけ荷物の入れ換え( 具体的には覚えていない )をする。(たぶん前日から始めたのだが、)水道水をボトルに詰めて冷蔵庫に入れておく。
部屋のドアから廊下の光が入ってくると思っていたが、これは反射素材のせいで、部屋の明かりを消すと、ドアの光も消えた。そして、寝る。すぐ寝たらしい。

遍路第5日(山岳ステージ)

日付 : 2023年10月21日
山岳ステージとは言っても主要な登りは1級山岳焼山寺のみ。後は、鮎喰川から左右内谷川沿いの渓谷が山岳っぽい。それとは別に恩山寺はちょっと登る。
朝食になると、夕食時から二人分席が増えていたが、同時に着席したのは夕食時と同じメンバーである。
朝食後、支度して、バックパックを玄関脇に置いて、さて出発である。戻って来るのが確定しているので宿の撮影は無し。07時14分出発。
予定通り、県道21号を西へ、南に向きを変えた後、最初の橋で鮎喰川を渡って左岸の県道20号へ。そのまま上流方向に走る。
対岸の県道21号が見えなくなって、さらに上流に進むと、何かある。

徳島県道20号神山町阿川の案山子
徳島県道20号神山町阿川の案山子
案山子へんろが並んでいる。木の看板には「阿川 ゆめの里」とある。
また上流に走ると、左に橋が架かっていたので、途中まで渡って、鮎喰川を撮影。
神山町の鮎喰川、橋から下流神山町の鮎喰川、橋から上流
神山町の鮎喰川
さて、国道438&439号であるが、実際には脇道を出入りして、国道はちょっとだけ走り、県道43号への分岐交差点では、右にある商店の自販機でドリンクを購入してから県道へ入る。県道43号は左右内谷川に沿って進む。
いよいよ焼山寺への分岐が近づいたとき、県道右手にへんろ道の分岐を発見。
徳島県道43号へんろ道分岐
徳島県道43号へんろ道分岐
このへんろ道は、焼山寺から大日寺への道になる。この写真右に看板を出している「植村旅館」は、先程の阿川ゆめの里の案山子たちのすぐ近くにあるらしい。
そこからすぐの所で県道から左に分岐し、公衆トイレのそばで小休憩後、再スタート。小さな橋を渡ると、登山開始である。08時53分。

1級山岳焼山寺

STRAVAのデータに拠れば、距離4.26km、標高差408m、平均勾配9.6%。
さて私、ド貧脚なのは既に書いているが、それでも今までの登りでは、撮影スポットを探す時と、あとは郷照寺(78番)山門前でいったん下車した後の境内を除けば、登りでの自転車の押し歩きはしていない。屋島スカイウェイ後半での空腹時でも、足を着いたらその場で休んで、前に進む時はあくまでもペダルを踏んだのだった。
でも、ここ焼山寺の登りでは、その習慣は捨てる。きつくなったら押し歩きに変える。遍路で大事なのは札所にたどり着く事だから。
そして早くも最初の坂の途中で歩くのであった。
最初のターンでは、ショートカットの歩道を選択。
その後も、ライド&ウォークで着実に前進。
そして、中間目標の杖杉庵に到達、した。

杖杉庵

四国八十八ヶ所番外霊場。
ja.wikipedia.org

杖杉庵全景
杖杉庵全景
撮影時刻は09時16分。
衛門三郎(、及び弘法大師空海)関連の霊場で、衛門三郎終焉の地とされる。
杖杉庵
杖杉庵
杖杉庵入口右石塔
杖杉庵入口右石塔
入口の右手にある石塔のうち、左の石塔には「本尊地蔵尊」とあるようだ。
杖杉庵入口左丁石
杖杉庵入口左丁石
入口の左にある石塔は「十一丁」だけが読める。焼山寺までの歩きでの残り距離を示す丁石である。自転車だともっと距離があるよ。
庵の左に弘法大師と衛門三郎の像がある。像のタイトルでは右衛門三郎となっている。
弘法大師・右衛門三郎像
弘法大師・右衛門三郎像
その左に、杖杉庵縁起の説明板がある。
杖杉庵縁起説明板
杖杉庵縁起説明板
衛門三郎の伝説は、仏教説話としては、8人の子供の扱いが酷すぎるので、好きでは無いし、衛門三郎が来世は国司を願うのも、そこは若くして出家できるように願う所だろうと思うし、天長8年(831年)は閏月の無い年というのも引っ掛かる。細かく言えば、平安時代初期の国司は、中央から派遣されるもので、衛門三郎の転生先である地方豪族の河野氏は、全く対象外である。
ただ同時に、後世に成立した日本的な説話としては実に興味深い、とも思う。
さて、ここで下界を眺めて、
杖杉庵からの眺め
杖杉庵からの眺め
出発する。09時21分。
押し歩きの時は、普通は体の右側に自転車なのだが、負荷を均等にするため、体の左側に自転車を持ってきたりもする。
まあ、でも、きつい。
でも、進めば何時かは到達するのだ。
そして、焼山寺駐車場への道と、焼山寺境内へ通ずる車道( 一般車は通行禁止 )との分岐を09時50分頃に通過、ここからは傾斜が緩くなって、駐車場へなだれ込む。09時51分。ここに駐輪して、徒歩での移動を開始。
ところが、ここからがまた遠い。山門下階段に着いたのは10時00分である。

次回は、遍路第5日、焼山寺(12番)

次回は、焼山寺に参ります。