(令和6年5月29日その5)
六崎組十善講八十八ヶ所巡拝、江原新田の西教院(26番&63番)の次は、飯重の成福院(64番&65番&68番&74番&84番)へ参る途中、江原新田の麻賀多神社に寄り道します。
西教院から道路に出て左へ、すぐの変則十字路を右折し、江原新田のストレートを西端まで進みますと、突き当たり三叉路の向こうが麻賀多神社です。
江原新田の麻賀多神社
麻賀多神社、佐倉市江原新田1番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
三叉路の股、わずかに南が参道入口で、入口右道路沿いに石塔が幾つか、参道入って鳥居、参道途中左に江原新田やすらぎの家、参道真っ直ぐに拝殿、参道途中右や拝殿の左に境内社がいくつかあります。大師堂はありません。
道路沿い石塔
入口・鳥居
参道
参道右境内社
拝殿・手水舎
手水鉢には「宝暦七丁〓四月吉日」、「江原新田村」など。(宝暦7年=1757年)
拝殿左境内社群
本殿
境外右の石塔群
社殿の右(北)、道路を挟んで、石塔群がありました。
江原新田やすらぎの家
さて、神社を出て、先ほど見つけた北側の石塔群を見に行きますと、石塔群左端の牛霊供養塔、その左後方にぽつんと石塔があります。接近します。
江原新田麻賀多神社北西の庚申塔
庚申塔の左「寳暦十庚辰四月吉日 願主當村 若者」。
庚申塔の背後に小さくて新しい石仏?もありました。さて、神社入口丁字路に戻る前に、反対側、ちょうど本殿の後方に進んでみます。すると、墓地がありました。
江原新田共同墓地座狐谷津墓地(A区画)
入口入って左に、江原新田共同墓地改修記念の碑があります。
江原新田共同墓地改修記念の碑
これに拠れば、江原新田開発は承応元年正月(=慶安5年=1652年) 、「土葬より火葬との世のすう勢」もあって墓地を改修した、碑の日付は昭和62年(1987年)。
地蔵像
台座の正面「法界」、左面「復元 昭和三十四年八月吉日 信徒一同 寳暦 十一月」ですので、元は宝暦年間の建立でしょう。
それでは、麻賀多神社の入口まで戻って、次へと参ります。
次回は、飯重の成福院(64番&65番&68番&74番&84番)
次回は、飯重の成福院に参ります。
麻賀多神社の入口から右(南)へ、坂を下ります。