(令和5年4月10日その5)
前回の記事(平塚村大師その捌)で、東葛印旛大師巡拝は一巡しました。このあとは平塚村大師を求めて小字真木ノ内(だと思う)に進み、それから、印西大師・印西地区の大師堂の巡拝に移行します。
前回の記事にて、平塚向台から平塚真木ノ内への丁字路に来ています。ここを引き返すと向台薬師堂、真直ぐ進むと真木ノ内、右折すると十余一地区に至ります。なお、向台と真木ノ内の境がどこなのかは、筆者は分かってないのです。それで、ここを直進し、そのあと道がゆるく右に曲がる所、左に平塚村大師30番です。
平塚村大師30番
右の新しい石碑「四国霊場八十八ヶ所 第三十番土佐妙色山安樂寺ノ写」、30番札所が安楽寺だった時期に建てられたものでしょうか。左の古い石碑「新四國第三十番」
ここからまた少し進むと、左に小さな大師堂があります。
平塚村大師30番と55番の間の大師堂
何番かは不明でした。
その先、道が左カーブするところ、右に平塚村大師55番です。
平塚村大師55番
「新四國第五十五番」「平成二年四月吉日」
さらに進んで、真木ノ内のバス停(、余談だが真木ノ内とは牧の内の意味だろうか、)まで来て、その先右手に、大師像が見えますが、これが平塚村大師82番です。
平塚村大師82番
「讃州根来寺冩 新四国 明治三十五年」、本家四国八十八ヶ所の根香寺(ねごろじ)は82番札所です。
そして、82番の道路向いに平塚村大師26番です。
平塚村大師26番
「土佐国西寺写 新四國第二十」、本家四国八十八ヶ所土佐の西寺は、26番金剛頂寺を指します。
ここから坂を下ると、右手に白井市の「文化・歴史の里コース<平塚地区>」の案内看板がありました。
文化・歴史の里コース<平塚地区>
この案内の改定版は、白井市のWebサイトから入手できます。
www.city.shiroi.chiba.jp
先の真木ノ内のバス停は、この案内だと「旧平塚キャンプ場」のようです。
案内板を見て、船戸地区を廻ってから小森城跡に行ってみようと思い、坂を下りて小字船戸へ進みました。この小字は、手賀沼の船着き場だったことを意味するのでしょうか。しかし、船戸には、平塚村大師らしきものは見当たりません。この後、カンナ街道から、再び小森に進み、小森城跡を探ってみましたが、何処だかわかりませんでした。
後で思いましたが、平塚村大師の札所を探すなら、蔵王権現・小森入口遺跡や、平塚浅間様を捜索すべきでした。
以上で、平塚地区からは撤退いたします。
次回は、河原子の大師堂
次回から、印西大師・印西地区の大師堂の巡拝に移行します。まずは、河原子の大師堂に参ります。