(令和5年4月10日その1)
東葛印旛大師巡拝、本日は、先日の平塚村大師その肆の最後の札所、平塚村大師21番からスタートの予定です。
その前に、平塚の南側、鮮魚街道沿いを見て回ったのですが、平塚村大師らしいものは発見できませんでした。明治時代には、鮮魚街道沿いには人家はほとんどなかったためでしょうか。
そして、千葉県白井市平塚の小字本郷の南、平塚村大師21番の前です。写真左手前に21番のお堂、道の先(北)の左側に5n番のお堂の屋根が見えます。
ここから北、写真の奥の方に進み、小字中台への丁字路に至る手前で、この写真、道を直進すると延命寺(東葛印旛大師65番&84番、下総四郡大師84番、印西大師54番)、奥の丁字路を左折して中台ですが、手前の丁字路を右折してみます。すると、右折後の左手の塀が途切れるところに、平塚村大師41番です。
平塚村大師41番
「豫州稲荷社写 第四十一番」
明治以降に建てられたと思われる石塔ですが、稲荷山でも龍光寺でもなく、稲荷社とあります。
続いて、道を進むと、舗装路が左に曲がるところ、直進した先に何かあります。
平塚村大師45番
4基の石塔が、屋根付きで立っています。その中央が45番です。「予州岩屋寺写 新四國四十五番」
ここから戻って本郷を貫く道を北に進み、平塚東区集会所(東葛印旛大師52番)のある十字路を左折します。その先、道が右(北)に曲がるところ、曲がった先の左側に石塔があります。
平塚村大師12番&84番
左が12番、右が84番です。「大正六年三月 阿州焼山寺寫第十二番」「大正六年三月 讃州谷嶋寺寫第〓十四番」、讃岐の谷嶋寺こと屋島寺は、84番札所です。
十字路に戻って東に進み、何も見当たらないので、再度十字路から今度は北に進み、次の丁字路にて、左折した先の右側に、お堂を見つけました。9番です。
平塚村大師9番
「村大師第九番」その9番の左(西)側にレリーフの石碑、34番です。
平塚村大師34番
「第三十四番土州種間寺写 明治四十三年九月建」
この先は道が下っているので、元の道に戻って北に進み、いよいよ延命寺に到着です。
次回は、延命寺(東葛印旛大師65番&84番、下総四郡大師84番、印西大師54番)
次回は、延命寺についてです。