(令和4年8月6日その10)
東葛印旛大師巡拝、箕輪の香取神社(元59番)&若白毛の長覚院跡(元87番)の次は、若白毛の長栄寺(29番&30番&87番)、続けて、八坂神社(元30番)に参ります。
若白毛区民会館から南に進み、千葉県道282号線との交差点を右折します。直線の県道が僅かに左カーブするところ、あくまで直進すると( 県道の右側に )八坂神社、その向い( 県道の左側 )に長栄寺があります。先に長栄寺に参ります。
長栄寺
曹洞宗、長榮寺、柏市若白毛592番地1。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師29番&30番&87番。
下総四郡大師87番。山号は盛松山。入口入ってすぐ左に庚申塔や大師堂など、参道が途中で右に曲って、その先に本堂があります。
古い庚申塔
年は「明和二」なのか「明和三」なのか不明です。(明和2年=1765年)
大師堂
大師堂は、右から、30番、29番?、87番となっています。
大師堂の左に、標識塔がふたつあります。手前の背の低い塔が29番&30番、奥の背の高い塔が87番です。
29番&30番標識塔
標識塔の正面「新四國第廿九三十番」(廿九と三十は併記)、左面「明治十三年辰四月日」とあるようです。(明治13年=1880年)
東葛印旛大師のうち、29番札所は文政期より長栄寺にありました。一方、30番は、文政期から明治の神仏分離期までは、向いの天王社にあり、その後に長栄寺に移転したものです。この標識塔は、移転して程なく造られたものでしょうか。
87番標識塔
こちらの標識塔、正面「四國八十七番」、右面「讃州長尾寺冩」、左面「文化五戊辰四月吉日」とあります。(文化5年=1808年)
東葛印旛大師の87番札所は、下総四郡大師の87番を引継いだもので、昭和期までは長覚院(跡)にあり、その後に転入してきたものです。
本堂
それでは、八坂神社にも参ります。
若白毛の八坂神社
八坂神社、柏市若白毛1番地。(千葉県の宗教法人名簿より)
東葛印旛大師文政期の30番。鳥居から参道真直ぐに社殿、鳥居の左に旧沼南町設置の標柱、境内の左に若白毛囃子の説明板があります。
社殿
手水鉢
手水鉢には「文化元甲…霜月吉…」とあります。
若白毛囃子説明板
現在は、柏市指定の無形民俗文化財です。
www.city.kashiwa.lg.jp
旧沼南町設置の標柱
さて、前述のように、東葛印旛大師の30番札所は、かつては天王社、つまり八坂神社にありましたが、明治前期に長栄寺に転出しました。現在、その痕跡は見当たりません。
なお、本家の四国八十八ヶ所では、明治の神仏分離までは、高賀茂大明神( 現 土佐神社 )が30番札所でしたので、こちらの札所が神社でも問題ありません。
帰宅
カメラの電池が切れましたので、今日はこれまでとします。本日は、東葛印旛大師の札所17ヶ所に掛所1ヶ所、下総四郡大師の札所6ヶ所ほど、下総三十三観音の札所2ヶ所に参りました。